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OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

『永い言い訳』

movie
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※ 内容に触れています

永い言い訳』に対する永い言い訳を書こうと思う。
映画としては、正直「意味」を求めすぎていて楽しめない部分はあった。しかし、この映画が問いかけた「意味」に対しては、自分なりの誠実さをもって応えなくてはいけない気がする。
まず、この映画に出てきた衣笠幸生(本木雅弘)は僕に似ているということ。や、別に僕は不倫しているわけじゃないし、ましてや本木雅弘のような男前でもない。ただ、周囲の見た目を気にし、その実周囲の人々の気持ちを考えることもできず、要は自分のことしか考えていないところは確実にある。
だからこの映画を好きということに抵抗があるのかもしれない。この話知ってる。自分のことだから知ってるという感じで。そんな自分の姿をスクリーンに直面して客観視するということはお説教を受けているようなものだ。
ここでこの映画を「お説教は嫌い」と言って切り捨てることは可能だ。けれども、僕はその方法はとりたくない。よござんしょ。こうなったら徹底的に叱られましょう。


「津村啓」という筆名を持つ衣笠という男は、映画の開始時点で妻(深津絵里)に髪を整えてもらっている。そして、テレビに映る自分など、様々なものに毒づき、彼の「外面」が出来上がる。
そして事故が起こり、「外面」を整えてくれた相手がいなくなる。次に彼が「外面」を湛えるのはいつか。同じく事故で命を落とした妻の友人。その夫、そして子供達に会う時、彼は1オクターブほど高い声を出す。それはこの映画を観ている人にとっては初めて聴く声であり、彼がまとった新しい「外面」だ。
観客はこの作家の「内面」は観ているが、「内言」は聴いていない。だから、なぜ子供達の世話をするようになったのかの理由も推測するほかない。や、本人だってわかっていないのかもしれない。マネージャーの池松壮亮の指摘を受けての狼狽。
この映画で衣笠が行う擬似的な子育ての場面は、竹原ピストル演じる夫をはじめとする子育てという「健全」な世界と、本木雅弘演じる衣笠の自己顕示欲や身勝手さが織りなす世界の衝突でもある。そして、その衝突が極に達する時、彼の「外面」は壊れる。
このシーンの本木の演技は、大作家ぶった仮面を残しつつもそのヒビから小者が覗くというバランスがとても良かった。
映画自体はその後オープンエンドに収まる。本木にも竹原にも問題はあるし、本木の表現も「父親になれない」ということを表しているのかもしれない。師匠筋である是枝裕和監督の『そして父になる』の批判的検証かもしれないと思った。


さて、僕はどうだ。
僕は今年結婚した。相手のことは気づかっているつもりだが、果たして充分なのかはわからない。時折自分のことを中心に置いて相手と衝突することだって、ある。
子供はどうか。子供が欲しいということは話し合いつつも、自分自身のだめさを省みて父親になる自信がなかったり、そのだめさが子供に受け継がれることを思うと不安になる。それは事実。


永い言い訳』は今までの西川美和作品以上に救いを与えてはくれない。
けれども、そういった不安や迷いをつまびらかにしてくれたこと自体が、救いとまでは言えないまでも教訓と安定剤になってくれる気がするのだ。