OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

片山恭一「ジョン・レノンを信じるな」

 僕は、あまり「世界の中心で、愛をさけぶ」を面白いと感じなかった。小説しか読んでないんだけど、あまりにもプレーンな気がした。すごくみずみずしいと思ったし、台詞の妙も感じたのも事実。だけど、内容はあまりにも普通すぎる気がした。
 そんなんで読んでみた「ジョン・レノンを信じるな」だけど、これは想像以上に面白かった。作者が青春時代に聴いていたロックへのオマージュとでも言うのだろうか。確かに、「世界の〜」にこれを持ち込んでいたらあそこまでのヒットはなかっただろうな。僕としては、読み物として面白いのは明らかにこっちだ。
 将来に対する不安、すなわち、世界への反骨精神と現実社会への適応との間でどう折り合いをつけるかということを、前の彼女との思い出の回想と今の自分の物語を織り成すことで描いている。
 この話は「ジョン・レノンを信じるな」であると共に、「ホールデン・コールフィールドを信じるな」でもある。この話ではたくさんのものが失われた。玲、渡辺由香里、マスターの奥さん、マスターの犬、「ぼく」の声、ジョン・レノンの命。そして、失われつつあるものがある。「ぼく」の若さである。玲との同棲をあきらめることも、子供ではいられないからだ。ちょうど今YUKIのCDを聴いてて思ったのだが、YUKI作詞の「ロックンロールスター」という歌にはこのようにある、「ロックンロールスター 夢見ていた 本気で世界を変えようとしていた」「ロックンロールスター 夢見れば 騙されていよう 花になろう」。子供のこころというのは、世界に反抗するスターを信じるこころなのである。世界に反抗していながら、ビジネス的に成功し悠々自適に暮らしているという矛盾にも気付かないで。それを狂信的に信じるのをやめて、純粋に音楽として付き合っていくこと、それが大人になるということだ。ビートルズを大音量でかけて、大人のいやらしさを追い出してはいけないのである。「ぼく」の夢に出てきたジョン・レノン。彼が言った、はき捨てるような別れの言葉、それは侮蔑とも取れる。だがそれは、子供でなくなるために聞かなくてはならない言葉だ。
 僕は大人になれるのだろうか。