OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

the pillows「Please Mr. Lostman」

引越しが近いということで、一人暮らしを始めてからいろいろと影響を受けた作品について、書いていこうと思う。
一発目はピロウズ。僕が初めてピロウズに出会ったのは中学生のときで、「ミュージックスクエア」というラジオ番組で「ハイブリッドレインボウ」が紹介されていたのがきっかけだった。続く「アナザーモーニング」でも感じたことだが、僕はおそらくピロウズの歌になつかしさを感じていたのではないかと思う。ピロウズの特徴とされるブリティッシュポップを思い起こさせるメロディ、当時はそんなことまずわからなかったんだけど、聴いたこともない外国の音楽を思い起こさせる点で、子供のころ叔母さんからもらう外国のお菓子を楽しみにしていたのと似た感覚ではなかったかと思う。ちなみにはじめて聴いたアルバムは「HAPPY BIVOUAC」だった。
さて、この「Please, Mr. Lostman」というアルバムは、本作以降のピロウズで僕がリアルタイムで体験できなかった唯一の時期ということになる。音楽誌や音楽サイトの情報から名盤だといううわさは聞いていたのだが、それまでは聴く機会がなかったのだ。確か一人暮らしをして初めてレンタルしたアルバムだったと思う。慣れないこと続きで(引越し初日に布団が届かなくてダンボールで寝たこともあった)疲れていた心にさわおくん(あえてこう呼ばせていただきます)の声がやさしく響いたのを覚えている。
今作から変わったといわれるピロウズだが、やはり特筆すべきはその詩である。本当は比べることはできないんだけど、僕個人としてはこの時期のさわおくんの詩は日本語ロックのひとつの到達点だと思っている。余談だがM-4「アイスピック」の「またひとつさらに病気が増えた 6時のニュースでそう言ってた」という詩を、当時のSARS騒動に重ね合わせて聴いてたりした。
一番好きな、というより、初めて聴いて以来心にとげが刺さって抜けなくなっているような、そんな歌がM-6「ストレンジカメレオン」。トリビュートアルバムでMr.Childrenがカバーしたことでも有名な歌だ。全文引用したいのだが、ここはあえて歌詞は載せないでおこうと思う。乱暴な分け方なのは承知な上で言わせてもらうと、「一人でも大丈夫だぜ。この世界に立ち向かっていくぜ。」という無頼派的なものがロックの、「人間は一人では生きていけない、だからみんなと一緒に乗り越えて行こう」というのがポップのスタンスだと思う。これはつまり、前者がマイノリティに向かって、後者が大衆に向かって歌われている以上基本となる姿勢だからだ。が、この詩ではあえてさわおくんはどっちのスタンスも取っていない。世界と対峙するのに、一人ででもなく、徒党を組むでもなく、愛する人と二人でというスタンスを取っている。これは実は自分の億弱さをさらけ出しているようなものだ。先ほど分けたスタンスは一見正反対のように見えても、そこには必ず「人間は孤独だということを認識した上で」という枕詞がつく。このさわおくんのスタンスは一見それとは反するもののように思える。おそらくだが、発表当時のピロウズはロックにもポップにもなれないという立場だと自分たちを認識していたのではないのだろうか。それは今後の、姿勢としては間違いなくロックだし、ポップなメロディなど売れる要素はいくつも持っているのに売れないという立場にも関連してくることになるのだろう。最後には一人になってしまったということを匂わせるこの歌詞からも、またアルバムの他の曲からも、本当はさわおくんが誰よりも孤独の味を知っている人間だということがわかるはずだ。それなのにこのような歌詞を書いて、シングルにまでして発表したのは、彼らの枕詞が「人間は孤独だということを認識した上で」に「生きていかなくてはいけないけど、でも一人だということを紛らわさなくてはやっていけないよ」という言葉が続くからだ。このひねくれ具合が、ピロウズの一筋縄ではいかないところなのだろう。そして、僕がファンをやめられない理由なのだろう。

Please Mr.Lostman

Please Mr.Lostman