OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

羽海野チカ「ハチミツとクローバー」

 最近、一気に読み返してまたいろいろ考えてしまったので書こうと思う。
 や、なんでハチクロにこんなに惹かれるのかを考えてみたわけ。で、思ったのは主人公をはじめとするキャラクターがみんな不器用だからじゃないのかな?初めて読んだのが2004年の初めの冬で、それからハチクロは俺の構成要素のひとつだったわけだけども。あまり好きな言葉ではないが「純愛」だと思う。「純愛」をどう定義するのかはわからないけど。うわあ、いよいよ恥ずかしくなってきたぞ。
 恥ずかしついでにもうひとつ。ここに出ているキャラクターはみんな青春している。少し離れた花本講師もそうだし、卒業して就職した真山もそうだ。で、唯一青春というのを過去のものとしているのが真山の同僚で、プレイボーイとされている野宮。彼は、真山と距離をとる理由を、自分が脱ぎ捨てた青春スーツをいつまでも纏ってる奴*1がいるからと語っている。真山も美大仲間の中ではクールな役柄なのにな。
 で、考えたのが、俺はいつも隙あらばこんな美大仲間のようなコミュニティに入りたいと思ってる。と言うか、「ハチミツとクローバー」の世界に。まあ、自分でも入りこみ過ぎだというのはわかっているが。それは何でかと言うと、以前のエントリでも書いたけれど、この漫画には基本的に悪人が一人も出てこないからなんだよね。思いっきり恋敵役として描いてもおかしくないはずの野宮でさえきちんとフォローが入れられていたりして。で、まあ俺は小学校のころ読書少年で、モンゴメリの「赤毛のアン」シリーズを読破したクチなんだけれども(恥)、あれと同じで、読んでるうちは楽しいし、ギャグは笑えるし*2なんだけれども、本から目を上げてみると現実は就活に失敗すればニート、複雑な恋愛関係には打算が伴うといった具合。そこではたと気づく。つまりはこの話はファンタジーなのだと。
 で、きっと羽海野チカさんだってそのことには気づいてる。おそらくは、青春がイタいものだと言うことも。だから「青春のスーツ」だの、「竹本の青春の蹉跌具合や自分探しの旅に興奮する青春好きの教授先生たち」なんてのが出てくる。だけど、俺が思うに羽海野チカさんはその青春のイタさを自覚した上でそれを表現することを選んだ人なのだと思う。ああ、いよいよイタいエントリになってきた。けど、最後に言わせてもらえば、俺は痛みを感じさせない芸術表現は失敗だと思うし、そういった痛みを隠し持ちながら生活している人は潜在的にたくさんいると思う。だから、俺は羽海野チカさんの表現を肯定したい。

ハチミツとクローバー (7) (クイーンズコミックス―ヤングユー)

ハチミツとクローバー (7) (クイーンズコミックス―ヤングユー)

*1:真山のことね

*2:赤毛のアン」にギャグ要素があるって意味じゃないよ