OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

メタル ヘッドバンガーズ・ジャーニー

 おそらく世界初のヘヴィメタのドキュメンタリームービー。
 ヘヴィメタルの歴史を丁寧におさらいし、なおかつ各地のヘヴィメタルの特色を描き、現状のファン(メタルヘッズ)の姿を描いたこの映画は、「ヘヴィメタルってどんなものかしら?」と思った方が参考にするのに最適の映画である。
 それで、少し考えたことを。
 音楽好きの中には、「音楽全般は好きだけども、ヘヴィメタだけはちょっと・・・」という方は多く、また「ヘヴィメタこそが至高の音楽!他は糞だぜ!」なんて人もいたりする(この映画の最初のセリフが「メタル最高!パンクはクソ!」だし・・・)。ぼく自身の実生活にこの手の人物が両方いるからなんだけども。
 ぼくがあまり好んでヘヴィメタを聴かないのは早い話が敷居が高いからで、聴いたらカッコいいと思うだけに残念なんだけども、彼らには一種の選民思考があること、彼と他の音楽(パンクとか)の話とかまったくできないこと、この辺があったせいでヘヴィメタ苦手意識がある。これを読んでるメタルファンへの弁解みたいになるけれど、決してヘヴィメタというジャンルを貶すつもりはないし、テクニックという面をひたすら上昇させることを目的とした音楽もあっていいと思う。だけど、ぼくにとってはヘヴィメタも音楽の一形式にすぎない。きっとぼくはメタルとの出会いが悪かったんだ。ぼくの周りのメタルヘッズは誰も聞いちゃいないのに飲み会で「メタルサイコー!」などと叫んだり(ちなみにその飲み会にてメタルファンは彼一人)、部室に黙々とメタルのCDを運び込んで「布教」を行うという具合だったから。
 そんな感じで、メタルに関しては複雑な思いが多々あるぼくだけれども、ファンの集い方に関して。まず、社会のはずれ者的自覚を持った者が同様の痛みを持つ人々と集うのは、ロック系の音楽にはよくあることで、かつてはヤンキーなどという制度もあったし、何気に近年のアニメオタクなんかもこの傾向があると思う。これをカウンターカルチャーというのかもしれないけど。
 メタルに関しては、「キリスト教」「クラシック」などある程度知的な要素が存在するのが、人気の秘密なのかもしれない。反宗教のためには宗教に関する知識がなければいけないわけだし。教会に火をつけて無期懲役になったメンバーのいるノルウェーのヘヴィメタってのもおもしろいと思ったけど。あそこまでくると一種の危険思想人物になるのだろうな。
 ヘヴィメタが完全に音楽シーンから孤立して「帝国」になったのはひとつには思想性、もうひとつには「ファッション化しづらい音楽であること」があるのだろう
78/100
私のヘビーでメタルな日々