木更津キャッツアイ ワールドシリーズ
監督:金子文紀 脚本:宮藤官九郎
キャスト:岡田准一、櫻井翔、酒井若菜、岡田義徳、佐藤隆太、塚本高史、阿部サダヲ、山口智充、ユンソナ、栗山千明、MCU(KICK THE CAN CREW)、橋本じゅん、高田純次、レッド吉田(TIM)、古田新太、森下愛子、小日向文世、薬師丸ひろ子
ぶっさんにばいばいしてきた。
まだ、かんがえがまとまってない。いちいち、ドラマを見てない人は〜とか、クドカンの脚本の魅力ってのは伏線に次ぐ伏線で〜とか、書くのが正しいとは思えないんで、今感じていることを自分語りになっても書こうと思う。
ドラマシリーズ時、キャッツの面々は21歳、日本シリーズ時、22歳(そしてぶっさんの享年)、そして、ワールドシリーズ時、25歳。
25というのは境目となる年齢なのかもしれない。ブルーハーツとピーズがデビューした年齢が25なんでそう思うだけかもしれないが。順当な社会人なら3年目になるこの年齢は、社会に染まることが当然とされる。(そして染まらなかったこの二つのバンドは知ってか知らずか世の中に染まれない人々の代弁者となった)
いま、ぼくは22。このドラマを始めてみたのも22のとき。リアルタイムでやっていた17のときはみれなかった。後悔。
けど、22のときの感じ取り方ができてよかったと思っている。
キャッツの面々みたいな生き方は意外と難しい。それは、ドロボーをするのが難しいんじゃなくて、昼は野球をしてその後ビールを飲んでっていう、生き方。一応、マスターとバンビ以外は無職なんだし。その生き方が22まで続いて、23で途切れて、そしてもう戻らない。けど、それは悲しいばかりじゃないし、もう泥棒も野球もできなくなっても、たまに集まって昔の話できればそれでいいかもしれない。そういう友達がいれば幸せな人生だったって言えるんじゃねーの?
若くして死ぬキャラに自分なりの美学をかぶせるのは、物語を作る人としては一度はやってみたいことだと思う。クドカンもその例に漏れず。ただ、美学みたいな気取った感じはしない。てか似合わねえ。
まあ、まとめると、これだけ愛情を込めたトドメをさされた木更津キャッツアイというドラマは、きっと幸せなんだろう。
付論:栗山千明について
この映画内でアクセントになっているのは栗山千明のドSキャラ。ハートマン軍曹を思い起こさせるこのキャラは単にお笑い担当に留まらず物語において重要な役割を果たす。ただ、あのドスの効いた声はともかく、このドSキャラは思ったよりも嵌ってない、というか、なんか違和感を感じてしまった。
栗山千明と宮藤官九郎が一緒の仕事をするのはこれが初めてではなく、以外にも宮藤氏のドラマ進出作「コワイ童話 親ゆび姫」(1999)に出演してたりする。だから、決してどちらかの意思をどちらかが汲み取れなかったというわけではない気がする。
栗山千明のSイメージを決定したのは、「バトルロワイヤル」と「キルビル vol.1」だ。しかも後者のキャラは前者のパロディとも言えるから、事実上バトロワで決定されたといえるだろう*1。たしか、どっちもむしろサディストというよりも、感情のない攻撃ロボットに近かったような気がする。第一、「呪怨」では被害者役もやっている彼女だし。
それで考えたのだが、ネタとして栗山千明を使う場合、人間の感情(この場合では教育係としての役目があった)からくるサディストではなく、冷酷無比or快楽魔のサディストでなくてはならないのではないだろうか*2。物語の都合上無理だったとはわかるが、ヒールに徹して欲しかった。またクドカンと組んで欲しい。そして、いかにもMっぽい男優(岡田義徳以外だと伊藤淳史が思い浮かんだ)をいじめさせて欲しい。
81/100
http://www.tbs.co.jp/catseye/