OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

久世光彦「一九三四年冬−乱歩」

 演出家としても活躍していた久世光彦の小説。
 内容は、スランプ状態にあった江戸川乱歩がしばらく表世間から行方をくらまし、異人ホテルである「張ホテル」に閉じこもり、短編「梔子姫」(ちなみに久世氏による贋作である)を完成させるに至る経緯を記したもの。
 久世さんの演出の特徴は、いかにもコントに使われそうなセットを使ってドラマを展開させることであくまでファンタジーだという前提を植えつけたうえで、時にストーリーを無視したメッセージなんかを前面に出すところにあるのだと思うのだけれど*1、この小説も、途中1回買い物をしに乱歩が街に出る以外は、張ホテルの部屋や食堂、そして乱歩の脳内で話が進んでいる、という具合に、いかにも久世演出が似合いそうな感じになっている(むしろ晩年の実相寺演出か?)。それにしても驚くのは、昭和初期の文化についての描写、とにかくその精密さには溜息が漏れる。この作品から枝を広げていって色々と読んでみようと思った。
 去年放映されたドラマ『吾輩は主婦である』でも久世演出の影響が見られた。また、主婦に乗り移った漱石が食事や他人の書物に関して一講釈垂れる場面なんか、漱石を文豪からただの作家であり人間にひとまず戻していて、本筋とはそれるけれど面白かった。
 この本の中に出てくる乱歩はとても人間くさい。少なくともチ○ポを勃起させながら小説を執筆したり、床にこぼしたミルクを猫と一緒になめていたりする乱歩に天才は感じない。だけど、『梔子姫』を書き上げる瞬間の乱歩はまさに天才というに値する存在だ。他の才能に嫉妬したり、素直に感服したりする乱歩の蓄積が放出される瞬間といえる。この乱歩の批評性は、乱歩が晩年には評論に力を入れたのにつながるのだろうな。
 僕は小学生の頃少年探偵団シリーズを読破して、高校生になって初期のおどろおどろしい短編も読んだのだけれども、きっとこれを読んだあとの乱歩小説はいつにもまして味わい深いだろう。

一九三四年冬―乱歩 (新潮文庫)

一九三四年冬―乱歩 (新潮文庫)

*1:最近、というより晩年の実相寺昭雄さんの演出にもそういうところが見られた。この2人は短編オムニバス映画『ユメ十夜』の「第1夜」で実相寺監督・久世脚本のタッグを組んでいる