OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

夏目漱石「こころ」

 教科書に載っていたので有名かもしれない夏目漱石の小説。正直、自分がこの作品を語るだけの語彙力や知識があるのかどうか自身はないのだけれど。
 このお話って、ものすごく絶望的なところから始まっていると思う。「私」は、いわゆるニートだ。そして「先生」も。とはいえ、この時期「ニート」は高等遊民と言われ、文学とは気っても切り離されぬものだったと聴いている。だけど、「私」は父親と「お前、将来どうするんだ?」みたいな話をしていて、その辺、全然現代にも通じるものがある。
 さて、このお話、終わり方がすごくぷつって切れてるのだよね。だから、読み終わったあと呆然としてしまった。
 この話、と言うか「先生」の手記を読んで考えることは、いまいち「お嬢さん」の姿が見えてこない。見えてくるのは、インテリを体現している「K」の姿ばかり。
 なぜ「K」の姿がこれほどまでにくっきり見えるかというのは、「先生」にとって利害関係が直結しているからなのだよね。「先生」は「お嬢さん」のことを確かにすきなのかもしれないけれど、読み終わったあと「どっかで好きとか言ってたっけなあ?」なんて気になり再びページを繰ってしまった(一応それに当たる場面はあった)。だけど、この手記の中心になるのは「K」に対する複雑な感情だ。
「K」に対する劣等感のようなものは確かに感じられる。だから、「K」の存在は「先生」にとって下手すれば自分の否定に繋がるものであり、おそらく「K」に「お嬢さん」をとられていたとすれば、「先生」は自殺していたかもしれない。「先生」の心の脆さは至るところに見て取れる。そう考えるとこの恋愛における駆け引きはデスゲームのように思えてくるのだが。
 そして、自分の利害を中心にして考えてしまわざるを得ない「先生」の手記はエゴイズムに満ちたものだ。そのエゴイズムの持つ他を傷つける要素、を自覚していたからこそ「先生」は世間一般を信用せず、また、傷つけることを畏れて世間と距離をとったのであろう。
 問題なのは、これ、なんだかその、エゴイズムからはどうしても逃れられないんだよという真理が読んだ後にずっと付き纏われているような気がすることだ。漱石の作品は時々怖い。夢十夜の三夜目なんかすごく怖かったし。この作品は、呪いだ。

こころ (新潮文庫)

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