OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

谷崎潤一郎「春琴抄」

 谷崎潤一郎の中編小説。内容は、盲目の琴の師範の女性と、その小間使いの男性との間の恋愛小説といったところだろうか。
 はっきり言って読みづらいです。句読点が打たれていないところが多々あるし。ただ、これは古典に近づけるための努力なのだろうな。この話を読むときの読点を挟まずに次の文章に移るときの独特のリズムは、読書と言う感覚に異世界に誘う意味合いを持たせていると思う。ただ、自分は谷崎の文体ってそこまで美しいと思えなくて。古典の文章は読んでいるだけで美しいと思うのだけれども。
 ぼくは、子供の頃から目が悪く、ずっと盲目になる恐怖を抱えてきた。それで一度、中学の頃だったか、今思えば恥ずかしい話なのだが医者にかかったときにその不安を口にしたことがある。それで、近眼による視力低下に関しては気をつけていれば大丈夫みたいなことを言われて、安心してしまい、その場で泣き出したことがある。自分にとって盲目になることは恐怖だ。死だ。本も読めなくなるし映画も観れなくなる。けど、こういったことを考える時点で、ぼくは現世の利欲から抜け出せてはいないのだろう。
 ぼくはこの話を読む前にどんな話か想像したとき、盲目の春琴が佐助の健常に嫉妬して分かり合うために佐助が自ら盲目になるのだと思っていた。佐助がこの先盲目になることは物語の冒頭ですでに明かされていたし。
 だから、春琴が顔を傷つけられ美貌を損ない、その醜さを観ないために佐助が自ら盲目になると言う二人して堕したような状況下だったことは少し驚きだった。そして、この話があくまで佐助の献身さを描いたものだと気がついた。
 ぼくだって、何度か人を好きになったことはあるけれども、たとえばその人に何らかのハンディキャップがあって、それが理解の障害になっているのならそのハンディキャップを自ら背負えるかと言われると、どうしてもすんなりを首肯できない。だから、このようなかたちで完全に二人の世界に入っていった春琴と佐助を少しうらやましく思う。
 この話の影響が田辺聖子の「ジョゼと虎と魚たち」に見て取れる。
 ただ、春琴に子供ができるくだりがやや蛇足に感じた。

春琴抄 (新潮文庫)

春琴抄 (新潮文庫)

 wikipediaでこの作品について読んでいたらおもしろい解釈を見つけたのでリンク。wikipediaにおける鑑賞の項目も面白いけど。
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春琴抄 - Wikipedia