グミ・チョコレート・パイン
大槻ケンヂ原作、ケラリーノ・サンドロヴィッチ監督の映画。
ぼくはこの原作が大好きで、確かに文学作品としてみるとご都合主義が目に付いたり、無駄な部分も多かったりするのだけれど、それも含めて大好きなのだ。だから、映画を観ることに大きな期待とともに不安を寄せていた。
ケラ監督も「1980」や時効警察の演出が結構好きだったし、何よりも有頂天のファンなので、きっといい化学結合が出来上がるはずだと信じていた。
そして出来上がったものは。
まず青春映画としての側面はかなり強く、質も高い。ちょっと80年代の映画っぽい演出*1が印象に残った、それに加えて、自分の高校生のころの自意識が肥大してしまっている部分(それが完治していないだけ特に)をスクリーンに映し出し、自らを省みさせるこの方法はちょっとすごい。ケラさんはきっとSだ。
今の自分では答えは決められないかもしれないけど、ケラさんがオーケンに「だからお前は甘ちゃんなんだ」と説教しているような印象を受けた。
オーケンの原作は彼本人の人の善さもあってか、すごく登場人物にやさしくできていて、すなわち読者にもやさしくできている。だからこそ、ご都合主義を使ってでも登場人物を幸せにしたいなんていう考えがあって、ぼくはそこが好きだった*2。
一方ケラさんは結構ひん曲がったところがあって、オーケンの小説では主人公の大橋賢三23歳の時点で止めているところを時を進めて、38歳まで描いている。オーケンの小説では夢を叶えつつあったり叶えていたりしていた登場人物が、幸せとはとても言えない人生をおくっていたりして、原作への思い入れの強いぼくにとってはすこしつらかった。まるで藤子・F・不二雄の「劇画オバQ」のようだ。だが、1980年代に青春を過ごした人間を描きつつも、現代が2007年であることを考えると、この描き方は実はすごく誠実だ。
もちろんそれが悪いといっているんじゃない。
この作品は夢見る青年たちにとっては少しビターすぎるかもしれない。これは脚本のミスなのかもしれないが、賢三と「キャプテン・マンテル・ノーリターン」との関わり、美甘子のブルマーのメタファーとなるところなど、原作とは変えつつも、その示すところがいまいちはっきりしない。そして、賢三やカワボン、コクボ、山之上などが21年間どんな人生を送ってきたかなども、明らかにしていない。原作を読んでいる人向けに想像の余地を残しているといったところか。個人的にAV監督をしているカワボンは原作の賢三の行く末なんじゃないかと思うのだがそれは置いといて。
しかし、心地よい高校生活の隣に青春の終わりをはっきりと置くことで終わりを意識させる手法は見事だ。心地よい世界を捨てて身を切られる覚悟があるものは見るべし。ぼくはこの物語を観ることで始めてグミ編を読んだ2000年10月から7年にわたった物語が真に終わりを告げた気がした。
- 作者: 大槻ケンヂ,江口寿史
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2006/11/25
- メディア: 文庫
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