ヒーローショー('10/井筒和幸)
2011/2/25鑑賞
DVD
去年の暮れに観たのだけれど、未だにこの映画の不思議な感触が抜けない。
あちこちで言われているのが、暴力シーンのリアルさ。何と言うか、実際に僕たちの身に降りかかりかねないけれど確かに危険を孕んでいる、そんな種類の暴力が描かれている。さらに、時折はっとするくらい現実とシンクロするシーンが織り込まれていて、それがこの映画のヒリヒリした感触を増している。
僕が一番気になったのはこんなこと。
この映画で描かれる事件の発端となるのはお笑いコンビで成功することを目指している主人公ユウキ(ジャルジャル福富)の先輩で元相方の剛志に誘われてヒーローショーのバイトを始めるが、その先で剛志が同僚のノボルに彼女を寝とられたことであり、それによる報復合戦の顛末が描かれる。
この報復合戦で暴力がエスカレートし、最悪の展開へとなだれ込む過程で僕が気になったのが、ある種の連帯意識の気持ち悪さだった。
「仲間の言うことはすべて正しい」
一見至言にも聞こえるが、そこには自らの意思で考えることを放棄した姿勢が見える。
たとえば、誰かが彼女を寝とったことを諫めていれば、誰かがいくらなんでも暴力での報復はやりすぎだと言っていれば、こんなことにはならなかっただろう。だが、鬼丸兄弟や拓也などはむしろ事態を負の方向にエスカレートさせる方を選ぶ。
そこには、自らの属する共同体に責任を転嫁し、共同体の外にあるものを排除する意識が見られ、それがすごく気持ち悪くて、怖かった。
むろん、主人公の二人もそれに流されるしかない弱い人間だ。
比較的筋の通ったところのあるはずの石川勇気(ジャルジャル後藤)さえも流されざるを得ない、そんな因縁がこの共同体の中にはある。
けれども、後半のロードムービー的展開で、ある種の自らの中にある規範を取り戻したのかなとも思うし、そうではないのかも、とも思う。
後半に行くにしたがい出口の見えなくなる閉そく感は他の映画に似た例が見当たらないほどだ。
すべては、共同体に責任を負わせていたが故にそのつけが回ってきたということなのだが・・・。
閉そく感を抜けた後の、決して爽やかとは言えないし、後味も良くないはずなのに何とはなしに感じる解放感が未だに忘れられない。
万人には薦められないけど、傑作。
- 出版社/メーカー: よしもとアール・アンド・シー
- 発売日: 2010/11/26
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