OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

八日目の蝉(★★★★☆)


2011/5/1鑑賞

@シネマQ



 この映画は、17年前に恵理菜を誘拐した女性・希和子(永作博美)のストーリーと、それから17年後の恵理菜(井上真央)がフリージャーナリストの千草と出会ってからのストーリーの二本柱となっていて、それが交互に語られる、日本映画によくありがちな構造(『ディア・ドクター』や『嫌われ松子の一生』など)をとっている。

 個人的な感触としては、永作博美のパートは★5つ、井上真央のパートは★3つ。

 まず、永作博美のパート。
 この映画はまず、娘を誘拐された母親(森口瑶子)の独白と希和子の独白を冒頭に並べて配置すること、およびその後の法廷のシーンなどで、希和子の行動は一般の倫理的にいえば明らかに間違っているし、その行動によって不幸になった者もいる、ということを予め観客に示す。
 序盤、永作博美を観て、さすがに老けたなー、と思った。老けたというよりも、むしろ疲れた感じと言うべきかもしれない。
 しかし、映画が進むにつれて、どんどん永作博美演じる希和子は輝きを取り戻していくし、非常に美しく見えてくる。
 特に、誘拐後の逃避行も終盤となった徳島でのシーンは、希和子と恵理菜が完全に親子になっていて、とても幸せそう。すでにこの逃避行が失敗に終わるということを知っているだけにすごくせつなかった。前述の通り希和子の行動は常識的にいって許されることではない。けれども、その逃避行の中でうまれた恵理菜に対する愛情は本物であり、結局のところ愛情というのはそういった常識を超えた理屈では測れないところにあるのだと感じた。
 愛し愛されることで人は輝きを取り戻していくということを、映像の力で見事に描き切っていたと思う。

 けれども、井上真央のパート。こちらも千草(男性恐怖症のジャーナリストで小池栄子が熱演していた)との関係性から本物の愛情を得るという構造をとっていて、その対比が描かれている。
 ただ、日本映画全体に言える、日常的で自然なセリフといかにもフィクションというセリフがチャンポンになっていて、それがノイズになっていた。
 そして、その悪い面がラストで炸裂した感じがあった。

 けれども、147分という長尺を意識させないくらいのつくりとなっていたし、『悪人』が好きだった方は見て損はないかと思います。