アジャストメント(★★☆☆☆)
2011/5/31鑑賞
@シネマQ
マット・デイモン主演の『アジャストメント』を観てきました。ネタバレ注意。
最初は、欠点はあるけれどかわいい映画、中盤は、ある種の問いを発する映画、そしてラストは、欠点が悪い意味で炸裂している映画でした。
・かわいい欠点
フィリップ・k・ディックの作品自体がワンアイディア的要素が強いため、リドリー・スコットのように独自の美学を用いて換骨奪胎する必要がある。
つまり、「これはフィクションですよ」というのを前面に出す必要がある。
それをしない限り、アホに見える。
結局、帽子をかぶったいいオッサンが恋愛の邪魔をしているだけ、だからね。このオッサン2人のビジュアルはなかなかカッコよかったのだけれど、中途半端にリアル指向が強くて違和感がある。
要するに、アジャストメント・チームが地味すぎる!
冒頭でマット・デイモンは政治家だと紹介されるが、その割には恋愛にうつつを抜かしていて、どこが優秀なのかわからない。
この「政治家」という設定が必要だった点は、後に解明されるけれども、釈然とはしない。
・よかった点
中盤になって、なぜ彼らが調整を図るかが説明される。
この時点で、マット・デイモンにとって「運命のレールから外れること」の意味の重要性がわかる。
そして、マット・デイモンにとって彼女とはまさに「運命のレールから外れること」の象徴ともいえる存在であるのだと観客に実感させることができる。
観客誰しもが興味を持ったことのあるであろう「私たちは運命からは逃れられないのではないか」「果たして運命から逃れることは可能なのか」という問いに対する答えが、これから映像で見られるぞという期待が煽られる。
例えば、人間の歴史は自由意志に任せるととんでもない方向に進んで崩壊しかねないから、調整チームが必要なのだ、という設定などは、マット・デイモンよ、一体この問題に対してどうおとしまえをつけるのか、と思わせられる。
・かわいくない欠点
ラスト20分がひどい!
ストーリーの背骨は「運命に逆らう」と言うことだったはずで、お上からお墨付きをもらうというオチは物語全体のテーマを揺らがせる。
きっと商業作品であるが故にオチをつけなくちゃいけなかったんだろうけど、これならオチなんかいらないと思う。
それと、この主人公結局何も失わずに全てを手に入れてるでしょ?怪我ひとつ負ってないよ!
ハガレンにあった「何かを手に入れるためには何かを手放さなくてはならない。何かを手に入れようと思ったらそれ相応の対価を支払わなくてはならない」という等価交換の原則に反している。
そのオチは1000歩譲っても、だ。
その結論は20年前にドク博士から聞いた。
・もし改善するなら
マット・デイモンが身を引いた後のストーリーは、彼女側から描くべき(『エターナル・サンシャイン』になっちゃうけど)。
彼女が調整チームのことを知るきっかけが二人の会話に隠されていればなおいい。
ラストに関しても、もっと含みを持たせなくてはいけない。
さもないと、映画のマジックが消える。
・余談
中二病。
昔「サトラレ」ってマンガがあったけれど、あれなんかは中二病的な設定上の小道具よね。
自分の思考がダダ漏れなんじゃないかという不安は、思春期あるいは大人になりきれていない人特有の過剰な自意識がもたらす考え方。
ダダ漏れになることを恐れるのは、ダダ漏れになってほしいから、すなわち、世界中が自分に注目してほしいということの裏返しに他ならない。
その証拠に、「サトラレ」能力者は天才的な能力を持つことになっている。
この「アドジャストメント」にも近いものを感じる。