OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

マイ・バック・ページ−ある60年代の記録−/川本三郎(平凡社)


本当に苦しみながら描いたんだろうな、
或る意味で言い訳がましいともとられかねない文章からそんなことを感じた。

やはりハイライトとなるのは、映画化された部分。映画では松山ケンイチ演じたKという存在は、あくまで偽物。
彼にコミットしていった過程が描かれるが、あくまでもCCRと宮沢賢治と『真夜中のカーボーイ』の3点において共感したこと。

例えば、自分にも「この作品を好きだという奴がいたら、ちょっとくらい嫌な奴でも仲良くなれる」と思うことはある。

その甘さ。



しかし、この事件は時代の流れで起きてしまったことでもあり、また、時代の流れに乗ろうにも所詮イミテーションでしかなかった男たちが敗北していく過程だ(Kは革命として失敗し、川本は取材ソースの秘匿を守るということができなかったことにより、ジャーナリストになることに挫折する)。

それは、時代の潮流に「ついていけなかった」「うまく適合できなかった」者の悲劇である。

若気の至りと言っても、それに対する代償は支払わなくてはならない。
あまつさえ、罪もない人の命を奪ってしまったとなっては。



山下監督の映画ではその部分をよりピックアップして、時には批判を交えて描いている。



映画化された部分以外でも、アメリカ兵のなかでも下層部分の人たちはカントリーとウエスタンを聞いていたということがわかったり、また当時のサブカルチャーの勢いが感じられたのがよかった。

マイ・バック・ページ - ある60年代の物語

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