パンズ・ラビリンス('06/ギレルモ・デル・トロ)
2011/8/4鑑賞
DVD
※ネタバレ含む
リアルの世界だと現実に起こっていることと妄想の中で起こっていることには明確な違いがあるのだろか。
その二つの違いをあえて混同させるように描く映画も、もちろんある。
けれども、この「パンズ・ラビリンス」の仕掛けはそれじゃない。それとは似て非なるものだ。
確かに、この物語のファンタジー部分はオフェリアの妄想かもしれない。しかし、それが現実に起こっていないなんて、誰が言いきれるのだろうか。
この映画内で確かに明確にオフェリアの妄想だという描かれ方をしている。しかしながら、頭の中だけで怒っていることが現実に起こっていないことだと言い捨てることなどできないかもしれない。普段の生活なら正気を疑われるようなこの言葉だが、映画が引き起こすマジックによってそれが本当になるような、そんな気がした。
まず、オフェリアがなぜその妄想をしなくてはいけなかったか。
それはスペイン内乱によってかき乱されている外部との平衡を保つためのはず。
しかしながら、彼女の妄想世界は決して安穏とはいえない。
悪魔のモチーフが入っていると思われるパンの造詣もそうだし、
?カエルの腹から鍵を取り出す際のグロテスクな描写
?目が手についている怪物から逃げる際の妖精たちのかわいそうな末路
?赤ん坊を差し出さなくてはいけないという残酷な試練
また、パンが敵なのか味方なのかわからないし、信用が置けないというところも絶妙だ。
?の時の、「ちょっと突くだけだから」って言ってる時の、ああ、こいつは絶対殺す気だ。どうか赤ん坊は助かってくれ、というあの感じ。
それからの大尉とのやりとりで、オフェリアはきっと現実に負けてしまうんだと観客をつき落しておいて、結果的に、客観的に観るとバッドエンドかもしれないのに、あれだけこれは妄想にすぎませんよと描いているのに、それでもハッピーエンドになるこの展開。
思うにさ、やはりそれだけ現実が彼女の中に侵入していたんだよ。
それに対峙しなければいけないのが彼女の切実さだったんだ。あるいは誠実さ。
そして、その現実に彼女は打ち勝ったんだよ。
妄想の中に逃げ込むことで現実に打ち勝つという離れ業。
あの試練というのは、逃避でありながらも彼女が現実に打ち勝つために必要なものであったというわけだ。
映画としては、やはり中盤の
スパイの医師を大尉が殺す→そのことがきっかけで産気づいたオフェリアの母親の看護が間に合わず母親が亡くなる
のシークエンスが上手いと思いました。
この大尉の人でなし加減が上手いと思ったね。
「イングロリアス・バスターズ」のランダ大佐みたく、人間の心を持っていなくて、それゆえ戦場では有能なんだろうなという感じ。
彼がなぜ恐怖を感じさせるかというと、現実でもこんなあくまで利己的で内面を持っていない人間のほうがうまくやっているという現実をつきつけられるからだ。
はい、来ました。
つまりさ、この映画自体もオフェリアが観ている妄想に近いものがあるんですよ。我々観客にとってね。
けれども、我々は映画の中の世界に行くことはできない。
だから、オフェリアの行動になぞらえるなら、僕らはこの映画から現実のしがらみへの対処法を学んで、そして僕らにとっての大尉を倒さなくてはいけないわけですよ。
大尉をあくまでも悪く描いて、その最期にちょっと美学を持たせようとしたところで美学を吐き捨てるような扱いをするところ。
僕は明確なメッセージを感じました。
残酷な描写が嫌いという人でも、一回だけ我慢して観てもらいたい映画です。
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