冷たい熱帯魚(★★★★★)
@桜坂劇場Cホール
「ねえ?僕らは子供が育てられるような大人になれるのかなあ?」(岡村靖幸「Boys」)
1995年に発覚した埼玉県愛犬家殺人事件を下敷きにした、園子温監督の映画。
この映画は、熱帯魚店を経営する気弱な男・社本(吹越満)が同じく熱帯魚店を経営する村田(でんでん)の手によって極悪犯罪に巻き込まれていくうちに自我に目覚める姿を描いている。
僕は、この映画を旧来の父性と現代の父性の対立する図式を描いたものとしてとらえた。
最近ふと考えるのだけれども、今の世の中に父親の理想的ロールモデルってあるのだろうか?「イクメン」とかどうこう言われて久しいが、その先の、子供にとって理想とされるような父親とは、そして、理想的な子供にするための子育てにおいて父親が果たす役割とは?
この問題は現代において重要だ。特に、この映画にたどり着くような、空想の世界に逃げ込むことを善しとしている私のような男にとっては。
そういった問いかけ(回答ではない)を、この映画は発している。
よくよく考えなくとも、村田の行動は常軌を逸している。この映画では例えば2009年1月21日午後9時とかそういった具合にいつ何が起こったかというのが執拗に描かれる。
そもそも、だ。序盤からして村田は社本一家に自分の熱帯魚店を観に来ないかといっているが、彼が社本一家を誘うということは本来常識から大きく外れたことだ。
まず第一に、社本一家は娘の万引きという一大事に直面した直後で、しかも午後10時という夜遅い時間帯だ。
しかしながら、彼はその強引さでもって彼ら一家を自分のテリトリーに誘い込んでしまう。そこには、村田自身のパーソナリティーが理由を超越した理由になっている。
でんでんさんの演技もあって、村田という人物はきっと自分の行動がたとえ一般社会倫理とは大きくかけ離れていようとも、そのことをまったく気にしていないに違いない、だからこそ彼が周りの人を自分のペースに巻き込む時には、理屈を超えた説得力が生じるのだと感じさせる。
これは、かつての父親が持っていたダイナミズムに通ずるものだ。
ひょっとすると恋愛然り、コミュニケーションを行おうとするには、自分の中に欲求があって、それは他人を強引に巻き込むレベルのものでなくてはいけないのかもしれない。
社本はすでにそのダイナミズムが失われた世界に生きている。すべてはつじつま合わせに終始し、自分の要求を通すことを知らない。
この物語は、村田という人物のパーソナリティを通じてかつての父性を復権させようとしつつ、やはり現代にそれはそぐわないという残酷な事実をあらわにしている。
最後まで観終わって、この問題はきっと園監督自身の中でも決着がついていないのだと感じた。 だが、それゆえに年間ベスト級に心に残ったのも事実だ。
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