OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

生きる(★★★★☆)

2011/11/26鑑賞

@パレット市民劇場



 観てからだいぶ時間が経っているのだけれども・・・。

 言わずと知れた黒澤明の代表作。

 胃癌により余命いくばくもないことを知った公務員が公園を建てるまでの姿を描いた感動作・・・




・・・ではないと思うんですよね。



 9割くらいがお年を召した方々の客席で観たのですが、思ったよりも笑いが起こっていた印象。

 リアルタイムで経験した人も多いように思うので、もしかしてこの映画はもっとコメディとして受け取っていいのではなどと思った。

 確かに、志村喬の演技はどこか笑いを誘う。



 実はこの映画、エンターテイメントとしての傑作を数多く生み出してきた黒澤明作品としては、いささか奇妙なバランスをとった作品だと思う。

 まず、この作品はナレーションによって導かれる。

 序盤の異常なまでのテンポの良さは、完全にコメディのそれだと思う。公園を建ててほしいという要望が役所の各部署をたらい回しにされる様なんてまさにそうでしょう。

 そして、余命わずかだと知った主人公・渡辺(志村喬)が、自らをメフィストだと称する小説家(伊藤雄之介。もっと登場時間が多かった印象があった)や、もともと役所で臨時職員をやっていた娘(小田切みき)との出会いを通じて、自分のミッションを手に入れるまでを描くのが前半。

 そして後半に飛ぶ際、いきなり主人公が死んだ後が描かれる。

 ここがこの映画のバランスの奇妙なところだ。

 言うなれば、物語が走りだすまでに時間や描写を裂き、物語が走り出してからは会話劇によるフラッシュバックで処理している。

 

 この映画はまた、実は主人公が何を考えているかというのは、ちっとも描かれない。

 もちろん、或る程度の想像の余地はあるものの、黒澤明志村喬はあえて表情から読みとれる情報を少なくしているような気がしてならない。

 

 葬式の席で、役所の人々は彼が公園を建てるまでの尽力や熱意をひたすら熱弁する。きっと渡辺さんは自分の命が残り少ないことを知っていたんだ。だから公園を建てたんだ。



 しかしながら、この映画のもうひとつ奇妙なバランス。

 彼が公園を建てることにより、どのようなメリットが社会的に還元されるか、あるいは、この公園を建てるという行為にどの程度の思い入れを持っているか。こういった、物語の推進力となる動機が実はすごく薄いのだ。

 だって、渡辺さん長期の休暇明けでいちばん最初に目についた書類がこれだったから取り組んだんだと言われても仕方ないような描写しているんだぜ。

 はっきり言ってしまおう。この物語の主人公を公園を建てるという行為に駆り立てたものは彼のエゴイズムだ。

 せっかく死ぬのだから、なんでもいいから人の役に立ちたいという利他的エゴイズム(矛盾するようだが)、すでに手段が目的と入れ替わっているものの、それが彼の推進力なのだ。



 だからこの映画の本来のストーリー部分を会話で処理しているのは賢明な処置だ。これを時系列的に描かれていたら主人公にとてもじゃないが感情移入できなかっただろう。



 彼のやったことは実は全然りっぱなことじゃない。そのことは彼もわかっていて、だから助役たちが手柄を横取りしたところで、彼はなんにも思わなかったんじゃないか。

 ひとつだけ言えるのは、こういったまったくヒロイックな行動ではないにしても、人間の根底には善性があるのだという、人間も捨てたもんじゃないのかもなという感じが残るところが、この映画が奇妙ながらもエゴと利他性のあいだで絶妙なバランスをとっているところだと思う。