OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

歓待(★★★★☆)

2011/12/15鑑賞

DVD




 例えば、ジョーカーやレクター博士といった魅力的なヴィラン
 彼らがなぜ魅力的であるかというと、彼らは或る種の哲学を持っており、そこには一貫性があるからだ。
 というよりも、一貫性を徹底したからこそ悪になったといえるのかもしれない。



 彼らがフィクショナルな身体性でもって強靭な論理を内包していたのを、リアルな人間の範疇にまで落とし込んだのが『冷たい熱帯魚』に登場する村田(でんでん)である。
 そして、ここに出てくる古館寛治演じる加川が、論理の一貫性を求めた末に生じたヴィラン性をその方法論でもってリアルな人間の型に煎じつめたものの最終形とも言えるんじゃないかと思った。



 加川の行動は確かに無茶苦茶ではあるし、非常に利己的である。自分の目的を遂行するためなら手段を選ばないのだろうというのが行動の端々から感じられる。
 しかしながら、彼が有能であること、沖縄方言でいうところのじんぶん(生きるための知恵)に優れた人間であることは否定できない。
 僕は正直言って彼が怖かった。古館寛治は『マイ・バック・ページ』(’11)という映画で妻夫木聡の先輩役で出ていたのが目にした最初だったが、やはりそこまで観慣れていない俳優だからこその実在感がすごかった。
 この怖さがどこに起因するか?僕は今の生活に満足している。しかしながら、それはひょっとすると自分は満足しているのだと自分に言い聞かせるために何かを見て見ぬふりをしているのかもしれない。
 そういった欺瞞を暴く新たな価値観が現れてしまったら、今の安穏とした生活はおさらばだ。そんな、基盤を揺るがしかねない存在に対する恐怖があるのではないか。
 そんなことを考えた。



 この映画の序盤では過去の名作日本映画のオマージュとも思えるシーンが散見される。そのため、人情味あふれる作品との評価を下したくなるのだけれど、これは実はフェイク。
 そういったシーンの積み重ねで描かれるのは、日本的な慣習がもたらす閉塞感(この言葉使いたくなかったぜ)。
 で、確かに一見彼らはこの生活に満足しているのかなと思えるのだけれど、根底にはこの生活感から抜け出したいと思っているのだということが無意識的に刻み込まるのだ。
 そして、加川の登場から決壊するかのように、主人公たちの一軒家に明確な外部の価値観がなだれ込む。
 そこに或る寓意を感じてしまった。ここはちょっとネタバレ入るため後に回す。

 個人的には、こういったテーマというのは例えば園子温がやっているエクストリームな演出みたいな要素で観客を引き込む必要があると思う。
 どうしても前半の加川の醸し出す怖さが残って、最後までドキドキしっぱなしだったから。
 とはいえ、インディーズ映画である以上こういった点を指摘しても詮無いことだとはわかっているのだけれどね。

 きっと深田監督はこの先傑作を手にするだろうと感じた。


(以下ネタバレ)

 主人公たちの一軒家に侵入する外部の者とは不法入国した外国人たちである。
 個人的には、このかたちをとってしまうと「外部からの価値観」≒「外国の価値観」と単純化されてしまうおそれがあると思うのだけれども、作劇上致し方ないのかもしれない。
 それで、加川の斡旋により主人公の家に住み着いた外国人たち。
 加川は、主人公をハニートラップにかけ、主人公の妻の弱みを握り(後に最初から仕組んでいたのではないかという描写もみられる)、その家を乗っ取っていく。
 そして、主人公たちが営んでいる印刷屋で大量の発注をとり、外国人たちを使って仕事をしていく。
 こういうことを書くとアレだが、やはり日本と外国人労働者を巡る状況を描いているように思えた。
 だが、深田晃司監督は短絡的に結論を出したりはしない。
 この映画のクライマックスともなる狂騒的な場面は、ひょっとすると外国からのカルチャーの流入を現しているんじゃないかなと思いつつ、素直に楽しそうだと感じた。
 序盤から感じていた日本的なものに対して、風穴を空けてくれるような感触すらあった。

 結局、この状況は長続きしない(法に触れるため)のだけれど・・・。

 結論としては、異文化を受け入れつつも、日本的なものに立ち戻るところに立脚する。

 この他者の流入の持つ二つの面を地続きで書いたことにより、ある種の消化不良を起こすおそれはあるが、非常に有効な問いかけだと感じた。

 ネト○ヨだのブ○ヨだの相手にレッテルを貼りたがっている人にこそ観てほしい作品。

歓待 [DVD]

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