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OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

ウィンターズ・ボーン(★★★★★)


2012/2/3鑑賞

桜坂劇場Cホール



 とにかく全編を通して、しかめっ面しっぱなしのお話だった。

 アメリカ貧困層の現実が描かれる。



 まず、ジェニファー・ローレンス(『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』のミスティークのコ)演じる主人公・リー・ドリーのパーソナリティーが興味深かった。この映画の主人公であり、かつカメラは基本リーの認識しない場面は映さない構成のため、じじつリーの一人称で進んでいくわけです。

 ではリーは観客の代弁者かというとそうではない。序盤で叔母さんに助けてもらいつつも、弟たちにはいやしいことはするなとたしなめる。つまり、ドリー家の経済状態は非常に逼迫した状態であり、誰かに施しを受けなければいけないということがここでわかる。さらにその後、行方不明の彼女の父親の保釈金代わりに土地を差し出さなければいけない状態に陥ったため、いちどは観客は彼女に同情的になるわけです。しかしながら、このリーという女の子は時折、まるで自分たちは助けてもらうのが当たり前だとでもいわんばかりのことを言い出す。それまでリーに寄り添ってこの映画を観ていた観客を、ここで現実に、それも、非常に残酷な現実に引き戻した上で、彼女に課された試練を追体験させる。じつにサディスティックな手法だと思います。

 この手法は編集などにも活かされていて、まず音楽はデヴィッド・リンチ作品のように不協和音を奏でているため常に不安感が押し寄せるようになっている。また、カットのタイミングが実にうまいと感じた。序盤から中盤にさしかかる頃、リーは叔父のティアドロップ(ジョン・ホークス)の車に乗せてもらうわけだけれども、ここで枯れた木を車の窓から(おそらくはリーの目線で)覗いた風景がカットインされる。このシーンは非常に美しいのだが、すぐさま次のシーンに移る。

 私たちが廃墟等の退廃的な風景に惹かれる理由は、人工物は自然の前では成すすべがなく取り込まれてしまう、その無常観にあると思います。しかしながら、そういうのを感じられるうちは、まだまだ余裕がある証拠。リーの抱える問題の切実さはそんなものではない。だから、映像的に美しいシーンはたくさんあるのだけれども、感傷に浸る間もなく私たちは現実に引き戻されるわけです。

 また、その現実も、例えばわかりやすい暴力によって衝撃を受けつつも、その衝撃がカタルシスになるようなそんなわかりやすいものではなく、一枚皮をめくればそこに潜んでいるような、顕在化するぎりぎりのところにある恐怖が常にあるようで、真綿に首を絞められるような感覚が全編を通して、あった。だから、観終わった後もこの恐怖が後を引くのだ。



 余談だけれども、僕はロブ・ゾンビ監督の『デビルズ・リジェクト』(’05)を観た時に、カントリーソングがとても怖いものに思えた。これはいわゆるスプラッタシーンに能天気な音楽を乗せることによる異化効果なのかと思ったが、この映画を観て、そんな単純なものではなく、もっと根の深い処でアメリカの田舎におけるカルマみたいなものとカントリーソング(この映画ではどちらかというとフォークソングに近いが)は繋がっているのかなと思った。あと、登場人物にティアドロップやブロンドなどという耳慣れない名前がよく出てくるけれど、アメリカにもDQNネームってあるのだろうかなどと思ってしまった。



 さて、ここからはネタバレに入ります。



 とにかく、終盤の展開がすごい。

 それまでの寸止めの恐怖感だけではやはり満足できなかったかもしれない。

 終盤、リーは湖に父親の遺体の一部をとりに行く。

 余談だが、フィクションにおいて通常、直接死が確認されていない人物は生きていると疑ってかかるのが常だが、ここではそういったいかにもな展開をとっておらず、なし崩し的に死んだことになっているのも実にうまいと感じた。観客としてはリーの問題がとてつもなく大きなものと思っているのに、それに対する親戚たちの対応が「なんで土地を手放す方を選ばないんだ?」とでも言わんばかりもものだったもの怖かった。

 さて、そこで彼女は、それまでの状況を越えるようなハードな試練を乗り越えるわけです。

 僕はこのシーン。映像の美しさも相まって、今までに見たどの映画にも似ていないようなところにまで踏み込んだと思いました。確かに、ここまできたらアレを映すべきとは思ったけれども、直接的ではなく恐怖を表現するこの映画の手法には合っていたと思う。

 彼女が経験したことは一種の通過儀礼といっていいだろう。それを経由したあとの彼女の、ジェニファー・ローレンスの顔の変化といったら・・・。僕は背筋の凍る思いがしました。

 つまり、この映画内でリーに課された問題については、一応の解決を見ているわけです。しかしながら、結局彼女はこの田舎に取り込まれてしまったわけです。序盤に登場した女性たちがあまりにも奥行きがなく感じたことも、映画に登場する女性たちのしゃべり方が常にあきらめたような感じなのも、この田舎に暮らしているとステロタイプにはめられてしまうということを暗示している。

 僕は、それまでどれだけの逆境においても一縷の希望を持っていたリーの敗北にも近いものを感じてしまった。さらには意地悪なことに彼女の妹であるアシュリーを最後に映して終わる(あれはひょっとするとリーの幼いころかもしれない)。

 

 ラストまで観て、僕をはじめとしてこういった不幸劇が好きな人が一定量いるのはどうしてなのかと思った。それは決して自分より不幸な人を観て安心したいという思いだけではないし、ましてや不幸を生み出した社会状況について真剣に考えたいという殊勝な心がけからではない。思うに、不幸の中にこそ真実があるように、無意識的に嗅覚が反応しているのだと思った。

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