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OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

ヒミズ(★★☆☆☆)


2012/3/6鑑賞

@シネマQ



 初めに言っておくと、僕は古谷実の漫画は好んで読んでいて、『ヒミズ』原作は一番好きな作品ではないものの高校時代リアルタイムで読んでいたため思い入れがあります。また、園子温監督の映画も大好きです。



 それゆえ、鑑賞中はなんとかいいとこを探そうとしていた。

 観終わった後、大好きな園子温監督映画にこんなことを言わなくてはいけない気持ちで残念だった。原作が頭に入りすぎたゆえのガッカリ感というのは『ノルウェイの森』('10)以来だったかもしれないが、期待が大きかった分だけ落差も半端なかった。園監督ということもありハードルが上がっていたのもあるのだろう。

 ただ、この映画の欠点を指摘することこそが、原作及び園監督の弁護になると考え、偉そうではあるが厳しい意見を。



 まず、おそらく原作からのいちばんの変更点は茶沢さんのキャラクターだ。

 原作の茶沢さんは言ってみれば超母性的な存在です。初見はブスに思えたキャラクターが徐々に魅力的に見えてくるというマジックを感じさせるつくりになっています。

 対して、映画版の茶沢さん(二階堂ふみ)は、もちろん母性は感じさせるものの、その母性を自分でも扱いきれていない感じを受けます。言ってみれば、恋愛体質でストーカー気質で、かなりウザい。その分、実在感は増しているのかもしれない。僕はこれはこれでアリの変更点だと思います。



 一方、主人公の住田(染谷将太)にはあまり変更が加えられていないように感じる。斜に構え、世間を引いて見る。園作品の特徴らしく激高するシーンはあるものの、全体的にトーンは抑え気味。

 実は僕、これがこの作品の構造的欠陥だと思う。

 住田の行動はいわゆる「厨二病」的側面があり、彼が視野狭窄に陥っていることは、原作でも、そこを忠実に残したこの映画でもはっきりと描かれる。実はこの「厨二病」的行動というのは園監督の映画でも、例えば『愛のむきだし』('09)のヨーコ(満島ひかり)等を通して繰り返し描かれるモチーフだったので、その点で僕はこの実写化を期待していたのだが、結論から言うと、この二者の「厨二」性というのは、微妙に異なるものだった。そのため、非常に食い合わせが悪いものを感じ、常に違和感が離れなかった。

 映画化に際し園監督は明らかに原作『ヒミズ』を自分の土俵側に入れている。東日本大震災の跡地を映したのもその一環だ。しかしながら、園監督の持ち味を大事にするなら、もっとぶっ壊してもよかった。

 ここ最近のフィルモグラフィで園監督は実在の事件を題材に取った作品を撮り、その実在感から完全に園子温的フィクションに移行する際のダイナミズムで話題になってきたわけです。欲を言えば、この『ヒミズ』についても、前半にはひょっとするとこれ実際にあった事件じゃないのかと見まがうような描写を入れ、それが完全にフィクション段階に移行する様子がみたかった(随所随所に秋葉原通り魔事件を連想させる描写はあったが)。

 あと、ロケーションについては瀬々敬久監督の『ヘヴンズストーリー』('10)には及ばなかった感があり。



※以下ネタバレ

 

 あと、もうひとつ大きな変更点がありますがこれはストーリーの根幹にかかわってくる部分です。



 初期園監督作品に『うつしみ』('99)というのがあって、この映画の基本的なアウトラインは、板前に恋をして処女をささげた女子高生がいる。板前はその後、女子高生のことを忘れられなくなり、自分から求愛するというもの。

 園監督作品に共通するモチーフに、コミュニケーションを求めることによる思いの伝播があると思います。

愛のむきだし』('09)のユウ(西島隆弘)及びコイケ(安藤サクラ)、『冷たい熱帯魚』('11)の村田(でんでん)など、彼らは積極的にコミュニケーションを求め、相手への変革を迫った結果、その思いが相手の行動にも影響を及ぼします。(『恋の罪』('11)にはこの相手への変革を迫るキャラクターの力が弱かったのではないかと思う)

 彼らの行動はひいてはスクリーンの向こう側にまで影響を及ぼす。それが映画の推進力となる。



 この映画においてコミュニケーションを求め続けるのは茶沢さんだ。二階堂ふみさんはその役割を存分に演じきっていたと思う。

 そして原作との変更点、すなわち住田のとる行動。

 これが、茶沢さんの、コミュニケーションを求め続けた結果だとしたら、すなわち、A Sono Sion Movieとしてはこの選択をとるのも、実に自然だと思う。

 問題なのはやはり、この映画が映画として壊れきっていないから、どうしてもカタルシスが追いついていないこと。でんでんのような圧倒的演技力による怪演か、あるいは『自殺サークル』('02)のような映像的魔力が必要だった。