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OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

ヘルタースケルター(★★☆☆☆)

movie 2012年新作


2012/7/14鑑賞

@シネマQ



 沢尻エリカ5年ぶりの女優復帰作。ぼくは岡崎京子作品初の映像化として鑑賞しました。



 あらすじは、全身整形を行ってトップスターに上り詰めた女性が次第に精神に変調をきたしていくというもの。

 おそらく、ヒットすると思います。近年、『告白』('10)、『冷たい熱帯魚』('11)、『ブラック・スワン』('11)など一種のエグみを持つ作品が興行的にもヒットする傾向がありますし。

 ただ、完成度としてはこれらに及んでいない、というのが正直なところです。



 まず、いいところからあげます。



 誰もが認めるところと考えられるのが、沢尻エリカの熱演です。

 もともとこの映画の主人公である「りりこ」というキャラクターの行動様式等が沢尻自身のそれと重なる部分はあったのですが、この映画では一種の悪意といってもいいほど彼女のパブリックイメージを増幅した形の演技方針がとられています。

 それがもっとも顕著に現れる部分が、りりこがバラエティ番組の放送中に幻覚を見る場面なのですが、ここでの彼女の衣装は明らかに『クローズド・ノート』('07)の記者会見で着ていた衣装を連想させるものなのですね。いわゆる、豹柄が全体にプリントされている洋服で、それゆえ原始人みたいに見えるアレです。

 そもそもその会見自体が、沢尻自身がファッションリーダーとして祭り上げられた末に周りから先進的であることを求められ、その結果ドレスコードを外れたファッションを着た上に不機嫌な態度で会見に臨むというドラマがあるわけで、そう考えるとこのシーン、ほとんどドキュメンタリーといっていいんじゃないんですか!

 また、こういった自己模倣というよりも悪意あるパロディにすらなる役柄を引き受けた沢尻エリカの度量には参りました。きちんと脱いでいるのもポイント高いです。おそらく、この映画の演技は後々に彼女の復活を告げるものとして語られるでしょう。この映画で彼女は、自分に対する客観的な視点を持つことができ、それを演技メソッドとすることができたのではないかと思います。



 あとは、フォトグラファー出身の蜷川実花らしく、一種の退廃を感じさせるどぎついデザインセンスは悪くなかったです。原作の簡潔な絵とは対照的なのですけれども、原作においては記号として扱われていなかったファッションを肉付けするにおいて、きちんとその作業を行っていると思います。というよりも、ここがもっとも蜷川実花さんの作家性が出たところじゃないかと思うくらいです。



 また、エログロ要素についても、ビッグバジェット作品にしては逃げていなかったなと思います。途中、園子温監督の『恋の罪』('11)からの引用なのかなと思うせりふが出てくるのですが、園監督には及ばないにしろ、きちんとショッキングなものを見せようという気概は感じました。



 ただ、これらの要素を打ち消すくらいだめなところも目立つ作品でして。

 もともとがかなり映画的な作品なので、極端な話そのまま映画にしてくれるだけで傑作になるのにななんて思っていました。

 ただ、そうもいかないのが難しいところ。

 劇中のりりこの言葉を借りるなら「もっとむちゃくちゃにできないの?」



 ※以下ネタバレ



 まず、漫画では大丈夫だった台詞回しなどが映画にするととたんに浮き上がってしまう気があるということ。

 特に、説明的なせりふも多いため興ざめしてしまうきらいもあります。

 また、この映画においてりりこと表裏一体をなす、一種の探偵役である麻田検事というキャラクターがいます。演じているのは大森南朋です。

 彼のせりふは一種のたとえ話で、その真意を汲み取るのは読者の役目に当たる。これは漫画という表現においては、麻田検事のたたずまいなどでうまく中和されていたけれども、いざ実写化されるとどうも「こいつはいったい何を言っているんだ?」という気持ちにさせられてしまう。大森南朋は悪い役者ではないのだが、近年の大森に出てきた渋みがマイナスに働いている気がした。麻田検事というキャラクターには一種のファンタジー性が必要なので、もっと中性的な役者さんがよかったんじゃないかと思う。堺雅人とか。稲垣吾郎なんかも合いそうだ。



 あと、原作を映像に変換する際に付け加えた要素が逆効果にあたっている部分もある。



 その最も大きなものが、りりこの部屋だと思う。

 原作を確認した限り、この部屋はとりたてて変わったインテリアをしているわけではない。

 だが、この映画においては蜷川実花独特のセンスが炸裂していて、そこが不満だった。

 りりこというキャラクターには内面はない。大衆の欲求に答えて表現する。それが変調をきたす原因にすらなっている。だからこそ、終盤における展開が彼女の始めての自己表現とも言えるものを感じさせ、そこに一種の揺さぶられる感触を覚える。

 ところが、こんな感じでインテリアデザインに凝った部屋を出されると、彼女が自分の表現をすでに行っているような気分になって、ラストに揺さぶられる感情の幅が小さくなってしまう。



 この、ラストに向かってエモーションを高めていく方法にはここだけではなく、かなり大きな難がある。



 たとえば、原作ではゴダール映画のような演出で黒字に白抜きの文字で処理されていたあるふたつの出来事をここでは忠実に映像化している。

 ただ、この処理を行ったとこで、原作にあった終盤に向けて様々なことが破綻に向かうスピーディさが損なわれている感があった。それこそ、ここはゴダール風演出をそのまま使ってもいいから、字幕なりナレーションなりで処理して情報を詰め込むべきだったと思う。

 また、その映像化についてもゴダール同様岡崎京子のお気に入りの映画監督であるデヴィッド・リンチに影響を受けた方法を用いているが、残念だけれども技術として及んでいないことが露呈してしまっている。



 そして、肝心のラスト。

 起こっている出来事自体は同じで、ただ、それが起こっている場所が違っている。

 メッセージを優先した結果なのかもしれない。『コミック雑誌なんかいらない!』('85)をちょっと連想した。

 ただ、そのせいでお話としてつじつまが合わなくなっている。これは麻田検事のせりふ処理同様、観客に優しくない。

 つまり、りりこはあそこからどうやって脱出したの?考えれば考えるほどわからなくなってしまう。

 表現としては逃げていなかっただけに残念だ。



 ただ、個人的に原作に思い入れが強すぎるから厳しい評価になっているのであって、もしかすると一般の観客にはじゅうぶんエクストリームな作品になっているんじゃないかと思います。

ヘルタースケルター (Feelコミックス)

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