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OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

キック・アス('10/マシュー・ヴォーン)

 ここ最近ケーブルテレビでやっていて、2回くらい観てしまった。公開当時にも劇場で観たのだけれども。

 それで、やはりぼくにとって最もしっくりくるヒーローものだと思ってしまった。




 ぼくは仮面ライダーで言えばブラック世代。確かに幼少期にそれを観ていた覚えはある。

 しかし、いっとう印象に残っているのは仮面ノリダーだった。

 つまり、パロディ元を通して本家を知るのであって、どうしてもその間には崇拝より先に、一種のメタ的な視点が介在してしまう。

 さらに、当時読んでいたコロコロコミックでもコミックボンボン(R.I.P.)でも、既存のヒーローをカリカチュアライズしたまんがが多く連載されていた。ウルトラマン仮面ライダーガンダム、芸能界の面々ですらそうだった。ナン魔くんなんてのもあったな。




 そんな感じで、正統なヒーローへの崇拝を手にし得なかったぼくがこの映画に惹かれるのは当然かもしれない。




 ただ、ぼくは『キック・アス』の素晴らしいところは、既存のアメコミヒーローに対してメタ的な問いかけを発しつつも、その回答は極めてまっとうなものであり、本家に比べてもひけをとっていないところだと考える。この潮流は現在『ショーン・オブ・ザ・デッド』('04)『ホット・ファズ〜俺たちスーパーポリスメン〜』('07)『宇宙人ポール』('11)などのサイモン・ペグ×ニック・フロストコンビの諸作品にも顕著だが、『キック・アス』も確実にこの流れを継いでいる。




 ぼくにとってヒーローの定義は、根本に立ち返れば「困っている人がいたら助ける」というところにある。だから、この世で最もシンプルなヒーロー像はアンパンマンだ。

 で、このアンパンマンの姿にも顕著だけれども、この行動理念に基づけば、際限なく「困った人」を助けなくてはならなくなる。アンパンマン性善説の世界だからまだしも、現実にヒーローの存在が難しいのはまさにそこにある。

 言ってみれば、究極的に利他的な人間は徹底的に利用されてしまう、それがヒーローの内包する問題。

ダークナイト』('08)のジョーカーはそこに揺さぶりをかけるわけだ。




 だから正直に言えば最近とみにさかんなヒーロー論の言説には、どうもそこが抜け落ちている気がしてならない。もしヒーローを讃美するなら、そのこと(ヒーロー讃美)自体がヒーローを苦しめている構造に言及しないことは欺瞞になる。それを救うには自らもヒーロー精神を継承するしかない。

 パロディ的に作られた『キック・アス』が最もこの精神を継承しているように思うのだ。