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OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

遠い太鼓(村上春樹)

book

ぼくには旅に出る理由なんて何ひとつない!

2012/8/1読了



 村上春樹の旅行記。1986年から1989年までイタリアを拠点に南ヨーロッパで生活した際の様子を描く。



 おそらく、前に読んだ西村賢太村上春樹が大嫌いだろう。

 ただ、ちょうど『苦役列車』('10)の時代設定でもあるこの時期に、村上春樹もまた、バブルの喧騒を嫌って日本を脱出していた。

 とはいえ、貧困と孤独の中から日本を描いた西村に比べると、村上春樹のそれはいささか高等遊民的なものがただよう。やはりこういった生活は、すでに作家として地位も確立し、経済的に恵まれた立場でしかできないだろう。



 そして、この文庫本にして500ページにも及ぶヨーロッパ放浪記。もちろん、随所に村上春樹お得意のユーモアが出てきてくすりとさせられるし、日本に暮らしていたら体験できないであろうことも読めて興味深い。また、観光ガイド的な角度を回避しているため、よりその地域の風土性が出た読み物になっている。

 しかしながら、この書物を引っ張るための動機は何に当るだろうか。

 それは村上春樹が40歳を迎えるにあたって小説として記しておきたいものを記すために環境を変える必要性を感じたからだとか、東京における現状に感じる不安感だとか、さまざまな理由があるだろうが、やはり読者にとってすんなり理解できるものにはなっていない。おそらく、作者でさえも理解してはいないだろう。

 ではそういった動機を探す旅であるのかというとまた違って、旅を終えたのちに彼自身が変わったのかというと疑問符が残る。もちろん、村上春樹の小説群を旅行前/中/後と分析することで浮かび上がることはあるだろうけど、少なくともこの本単体でそれは簡単には読み取れない。つまり、通過儀礼の物語としては失敗している。

 やはりこのあたり、村上春樹というのは一種の高等遊民であり、それが反感を買う理由になっているのだとも思う。



 ただ、ひとつ思ったのが、この旅の過程ではじめ、現代文明から逃避するようにギリシアへ向かっているにも関わらず、徐々に映画やコンサートなど芸術文化に接するようになり、旅の終盤で再度文明と距離を置いているようにみえる。

 実はここに本人が知覚していない通俗性が現れているのではないかと思う。