OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

DOCUMENTARY of AKB48 No flower without rain 少女たちは、涙の後に何を見る(★★★☆☆)


2013/2/2鑑賞

@シネマQ



実録・AKB48 東京ドームまでの道程



 なんやかんやで毎年劇場で観ている。

 特に今回は、前作『Documentary of AKB48 shouw must go on 少女たちは、傷つきながら夢を見る』('12/当時の感想はこちら )でアイドルという職業の因果を見せてしまっただけに、その先がどうなるか興味があった。



 まず、全体についてざっくりと。

 一見さんお断りなつくりになっているので、AKB48に興味のない人、嫌いな人にはおすすめできない。

 前作では西武ドームの過酷な舞台裏や、あるいは総選挙によるランキングの残酷さで号泣する者達など、比較的フィジカルな痛みが強かったと思う。

 今回は、メンタルの痛みだ。



 話題作りなのかどうかは知らないが、この映画の公開前日にとあるメンバーが週刊誌にすっぱ抜かれて、メンバーはその反省として坊主にするという事件があった。この出来事に代表されるように、AKB48グループにおいては恋愛が禁止されている。確かに、「アイドル」を初めとする自分のキュートさを売りとする芸能人たちは、ファンとの仮想恋愛の対象となるため、そこに現実の恋愛が顔をのぞかせるが御法度になるのはわかる。



 わかるけれど、AKB48グループの徹底ぶりに関して思ったことがある。

 過去ももちろん人気アイドルの恋愛が週刊誌にすっぱ抜かれたことはあった。でも、「信じるか信じないかはあなた次第」とスピルバーグ関ばりに「信じない」というポーズを決め込むことはできた。それは「見て見ぬふり」ということだけれども、そういった態度を通して、もしくは事実を受け入れること、憧れは憧れで手が届かないものだと思い知ることで少年は大人になるのだと思ってきた。

 けれど、この「徹底」でもって、週刊誌に報道される恋愛が事実だということを逆説的に示してしまったような気がしてならない。

 つまり、今の時代ってフィクションを共有することが難しくなっているんじゃないか、なにがなんでもリアルリアルで、非常に窮屈な世の中になっているんじゃないか。



 そしてもうひとつ。

 

 年に一度行われる総選挙での各メンバーのコメントや、あるいはインタビューでの受け答えを聞いていると思うのだけれども、AKB48の女の子ってとんでもなく自己評価が低いように感じられる。これは謙遜で言っているんじゃない。

 唯一そういった感じを受けないのが篠田麻里子だけれども、彼女は確か正規のオーディションを経て入っていないはず。年長であることも影響しているだろうが。

 だから、まとめてしまうと、AKB48というシステムにはどこかしら、「本来ならバッシングに耐えられないくらい自信のないコをさまざまな理不尽でもって追い詰めて、彼女たちが不安定になるさまを楽しむ」といったゆがんだ構造がある。

 今回の映画でメンバーたちが泣き叫ぶのは、例えば組閣によって愛着をもったチームがバラバラになったり、スキャンダルによって制裁を受けたり、センターである前田敦子が引退したりすることによる。

 女の子が泣いている姿は痛ましい。けれども、同時にこれらが運営によって仕掛けられた茶番にも思えてくる。あまつさえ、大人の事情もあるのだろうけど、メンバーはそれでも運営に対し、これらの理不尽の元に対し文句も言わず従順な態度をとる。

 そして改めて感じた。自分は、AKB48の女の子たちは好きだけれども、このAKB48というシステムは嫌いだと。



 ぼくがAKB48に対し一番期待するのは、いつかこのシステムを解体してくれるパンクなメンバーが出てくることだ。

 

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