OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

さよなら渓谷(★★★☆☆)


すべては真木よう子に捧げられて

解説

真木よう子が「ベロニカは死ぬことにした」以来7年ぶりに単独主演を飾り、吉田修一の同名小説を映画化した人間ドラマ。緑豊かな渓谷で幼児殺害事件が起こり、容疑者として実母の立花里美が逮捕される。しかし、里美の隣家に住まう尾崎俊介の内縁の妻かなこが、俊介と里美が不倫関係にあったことを証言。現場で取材を続けていた週刊誌記者の渡辺は、俊介とかなこの間に15年前に起こったある事件が影を落としていることを知り、2人の隠された秘密に迫っていく。俊介役は「赤目四十八瀧心中未遂」「キャタピラー」の大西信満。「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」「まほろ駅前多田便利軒」の大森立嗣監督がメガホンをとり、監督の実弟・大森南朋も週刊誌記者・渡辺役で出演。(さよなら渓谷 : 作品情報 - 映画.comより)


 正直に言えば、大森立嗣の監督としての手腕については疑問符が残る。
 特に前半。大森南朋のだらしない肉体には役者魂を感じたが、それ以外のほとんどは構図・演技・物語のいずれも「ちょっと豪華なテレビドラマ」くらいにしか思えない。
 特にさ、大森南朋鈴木杏が飲み屋で話すシーンさ、あれだけ取扱注意な情報をあんな大声で衆人環境でしゃべっていいの? あれが一番ないと思った。
 出演している俳優はみな今の日本映画を背負ってたつ芸達者ばかりなのに、キャラクターがあまりにも類型的すぎるせいで役者の魅力が殺されてる。
 例えば、鶴田麻由演じる渡辺の妻は、渡辺の男性性をスポイルする役割があるのだけれども、その物語上の役割があまりにも前面に出過ぎていて、しゃべる台詞が全部説明に思えてくる。
 あと、新井浩文を冷血漢にキャスティングするのって今までに何十回も見たから、よほどの工夫がない限り難しくないか。特に今回は『ヘルタースケルター』('12)で演じたオカマのヘアメイク・キンちゃんの役が抜けきっていないように思えたのだけれども。

 
 ただし、そういった説明のために用意されたドラマがひと段落ついて、かなこ(真木よう子)と俊介(大西信満)のドラマに焦点があった時に、やっと面白さが生じる。
 以下内容にふれるため、たたみます。



 もともとこの二人の暮らしぶりを映したシーンは部屋の様子から明らかに異様性を感じさせたり、セックスシーンの描き方が独特だったり、工夫が見られた。
 この二人が過去の回想シーンにおいて再会し、それからロードムービー的な展開になるに至って、観客はようやく感情移入するすべを見つけ出す。
 かなことは一種の心霊だ。俊介の罪深い過去が人間のかたちをとってあらわれた姿といってもさしつかえないだろう。同じ罪を背負っていても何食わぬ顔をして今の幸せを享受している者もいて、彼らの前には心霊は現れない。あくまでも罪の意識のある者の前にだけ現れるのだ。
 ここで、真木よう子という女優の特性が表れる。
「薄幸」と「気の強さ」を併せ持つ女優でしか、この役を演じることはできない。
 その罪を自分の中に封じ込め、かつ相手をそこに引きずり込む。受容性と攻撃性の両方が必要になる。
 インタビューによれば真木よう子は撮影中相当ダメージを受けたらしく、その意味でも迫真の演技といえるだろう。


 その一種の呪いを受信する大西信満も、その目力の強さから、きっと見なくてもいいものを見てしまうのだろうなと思わざるを得ない。
 その力加減が映像や演技から伝わる二人の逃避行シーンは、一種の崇高なものにも思えてきて、それまでのフラストレーションを晴らすくらい見事だった。


 しかし、この映画では渡辺の視点に一度戻しているため、まるでこの罪の呪いというものが夫婦一般にあてはまるように解釈しているように思える。
 そこはちょっと落とし所としては不満だ。


 実際、確かに最後まで見た後だと前半の瑕疵も意図しているように思えるが、浅薄な人物を配置して二人の一種崇高な感じを際立たせるなら、映画的な瑕疵をわざわざ作らなくてもいいように思えるのだ。
 そんなわけで、真木よう子の熱演は評価しつつ、全体的には少し点を落とす感じがありました。

さよなら渓谷 (新潮文庫)

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