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OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

『キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー』(アンソニー・ルッソ&ジョー・ルッソ) ★★★★☆

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 レンタルBlu-rayにて鑑賞。
 マーベル作品はあまり得意じゃなかった。この前のエドガー・ライト降板騒動で、マーベル・シネマティック・ユニバースが作家性とは相いれない、という印象を大きく裏付けてしまったわけだし。

 ただ、確かに娯楽作品というのは、作家性が邪魔する部分は大きい。僕は、どんな監督であれ作家性というのは刻み込まれるものだと思っている。それが、全体を俯瞰した時の偶然をこじつけてしまうような危険性をはらんでいることは承知の上で。

 そして、キャプテン・アメリカの新作。僕はさ、まず脚本が見やすいと思った。三幕構成がしっかりしており、主人公がどういった欠落を抱え、それをいかにして取り戻すかが事件の挟み込み具合などを含め、エンターテイメントとして一番気持ちいい配分になっている。やはりそれは一種の娯楽全体主義をもってしか達成できないものである。

 思ったより暴力的だった。ただ、そう思ったのは日本のメジャー映画が暴力を忌避してきたからに他ならない。やっぱり、娯楽映画に暴力はつきものなんだよ。アクションとは暴力。カーチェイスの時だって、クルマが壊れることは暴力なんだし。

 暴力というものはハリウッド黄金時代と言われる時期には隠ぺいされ、そして現代の日本でもそれは可能な限り描かれないようになっている。けど、暴力のない映画なんてつまらない。だから、いい映画はこっそり暴力を含ませる。『ローマの休日』でオードリー・ヘップバーンがギターで殴る時の気持ちよさ。
 今の日本の娯楽映画はこの時期のハリウッドに似ているかも。いや、ヘイズコードが存在せず、観客が望んでいないから暴力は隠すべきだと考えている今の日本のほうが圧倒的に部が悪い。数少ない暴力映画『渇き。』にすらあれだけ文句が付けられるんだし。

 僕が今回キャプテン・アメリカの新作を観て思ったのもそこで、ああ、そっか、今のハリウッド映画って暴力を描いていいんだと改めて思った。

 興味深い構造をしている。例えば、冒頭で任務に向かうためにキャプテン・アメリカは飛行機から落下する。次に、裏切り者の汚名を着せられシールドから脱出するとき、彼はまたガラスを破って落下する。この時はしばらく道路に倒れこみ痛そうなしぐさを見せる。そして、いろいろあったすえにアイデンティティを取り戻した彼は、再度任務に向かう際にも落下する。今度は起き上がる。

 さて、この「落下」という動作、ヒッチコックから継承されてきた映画的文法の伝統であるけれども、最近これを最もうまく使っていた娯楽映画のひとつが『007スカイフォール』なんですね。

 実際、『ウィンター・ソルジャー』と『スカイフォール』は似ている部分が多い。主人公が属している組織及び上官への不信感、すべてを失い逃げる主人公、コンピューターのおかれた部屋で悪玉と対峙するところ。

 さて、『スカイフォール』ではラスト、ジェームズ・ボンドはおそらく007映画で唯一涙を流す。よく言われることだが、彼はここで決して任務に成功したわけではない。

 キャプテン・アメリカはどうだろう。実はこの映画では、本来なら三幕構成に従い3回であるはずの落下に、4回目が存在する。そこで彼は、かつての親友が敵となり、盾を捨て、戦わないと宣言し、落下し、息を吹き返す。そう、この映画内で、一応の解決は観たかもしれない。しかし、キャプテン・アメリカのドラマは、終わってはいない。

 こういったものを連作長編とも言うべき映画シリーズで打ち出せたこと。

 最後までキャプテン・アメリカを開放させなかったことはシリーズものだからできることだし、葛藤に直面している男女に、キャプテン・アメリカとロマノフを配置しているときも、観客が彼らの冒険を知っているから、その冒険に意味を持たせることができる。確かに、マーベル、うまい、と思った。

 あとさ、この映画、アクション面では『アジョシ』や『ザ・レイド』等アジア映画の影響も感じられる、その意味で非常に同時代的な作品だと思うんだけど、実はこれも影響受けているんじゃないかなと思ったのが、『ツリー・オブ・ライフ』。

 これはさ、『マン・オブ・スティール』にもその傾向は合ったんだが、失われてしまったアメリカ的なものへの郷愁というテーマが共通するような気がする。

 ただし、『MoS』が娯楽性がかい離していたのに対し、こちらについては、そのアメリカ的なものが、現代の無機質なアクションシーンの世知辛さを際立たせるという、アクション映画として画期的な試みを行っているとも感じた。