OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

『たまこラブストーリー』(山田尚子) ★★★★★

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 レンタルDVDで鑑賞。2013年に放映されていたアニメ『たまこまーけっと』の劇場版。
たまこまーけっと』は最初しゃべる鳥が出てきたとき「こういう話なの?」とちょっと面喰ったけれど、次第に、この日常と非日常を行き来する感じがいいなと思い始めた。そもそも、この『たまこ』シリーズほど「日常」に正しく向き合った作品はないのでは?
 日常を題材にした作品は、何も起きないというわけじゃない。日常は永劫ではない。だからこそ、今ここの素晴らしさを見つめなおすという視点が生きてくるわけです。京アニの繊細な演出にも後押しされて、素晴らしい日常を堪能できた。
 TVシリーズでも随所随所で、ある人物が結婚するとか、あるいはたまこの母が亡くなった時のことが語られるとか、日常が変容する様子が見られる。その対比として変わらない場所が素晴らしく思えてくる。OPやEDが同じであることがいとおしく思えてくる。
 映画版では、それをさらに推し進めて、日常が変容した瞬間に登場人物たちがどう対応していくかということに主眼が置かれる。攻めてるなあと思ったけど、よくよく考えたらかなり健全な方向性に回帰している。
 つまりは、『けいおん!』の不健全な部分(あれはあれで好きだが)をきわめて健全に見つめなおした内容になっている。キャラクターとしては突飛なほど奇異なキャラ付けは行っていないし、それにちゃんとこの年代の青少年らしく恋愛もする。あと、商店街の面々すなわち大人のキャラクターについても掘り下げられている。確かに、美少女アニメで「大人」のキャラクターを表現することの(キャラデザ的な)難しさは感じるものの、これは決して大人になることは悪いことばかりじゃないという側面も示す。TVシリーズの11話で小津安次郎の『晩春』をやってしまうところなんか驚いた。
 そこが重要なところだと思っていて、キャラクターやその間の関係性が変容すること、すなわち成長することを、成長という表現が(画的には)難しいアニメでやったところになぜだかぐっときた。
 ちなみに、二度目見たときには一回目に観たときに比べ、泣く頻度は少なかったのだけれども、牧野かんなという、一見すると達観したようなキャラクターが「私も少し高いところに登ってみますか」と言ったところで決壊した。なんていうか、こうやって脇役のストーリーも回収するところにぐっときた。
 この真っ当な「青春映画」らしさがね、なんか大林宣彦岩井俊二の映画みたいだなあと思ったんですよね。そういう映画が実写で観られなくなったのは少し寂しいけど、こんなところで観ることができたとはという驚きがある。
 ちなみに、「京アニの繊細な演出」を代表する撮り方として、人物にピントが合わなくなるシーンがあったり、ジャンプカットを用いたり、実写的な撮影の模倣をしている。これは『涼宮ハルヒの憂鬱』のTV放映順での一話目「ミクルの大冒険」を思わせられるけど、単なる酔狂ではなく、明確に「誰かが撮っていること、すなわち見ていること」を意識させられる。
 個人的にはもう少し着地は丁寧にやったほうがよかったと思うけど、これはあくまでも好みだし、おおむね満足。今年のアニメ映画では一番好きです。