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OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

ビフォア・ミッドナイト(リチャード・リンクレイター) ★★★

(@桜坂劇場
 『ビフォア〜』シリーズの醍醐味とは、取り繕っている会話から徐々に本音が溢れていき、クライマックスで交わす会話の妙にある。今回も身につまされる。ジュリー・デルピーの怒り顔ちょっとトラウマ。
 映画を語る方法はいくつかあって、この映画『ビフォア・ミッドナイト』の場合、映画について語る時の方法(シネフィル的な?)も勿論有効なのだけれども、それとは別の語り方、要は、自分語りを誘発するような仕組みにもなっていると感じた。つまり、『ビフォア・ミッドナイト』の二人の姿が10年後の自分に重なる可能性は充分にあるわけで。
 この映画の恐ろしいところは、序盤で見せるジェシーイーサン・ホーク)とセリーヌジュリー・デルピー)の会話は、『ビフォア・サンライズ』の頃より勢いは落ちているもののあの頃のままだって一瞬思いそうになるのね。でも、それすら取り繕っていたという。ここで表出する問題に対し、明確な答は存在しないような気がする。そもそも、口論を続けていくうちにどこからが議題だったのか入り組んでいきわからなくなる。当人たちが必死で議論を維持しようとしているからなおさら。それでも鑑賞後に爽やかな後味が残るのは、やはり現状を肯定できるような感覚があるからか。果たしてあれが解決なのかはわからない。その答は9年後にわかるのかも。
 実を言うと、『テイク・ディス・ワルツ』にせよ、『ザ・フューチャー』にせよ、恋愛における倦怠を表現してシーンは眠くなる。『ビフォア・ミッドナイト』にもそれを感じたけど、ひょっとしてこれは演出として成功しているということなんだろうか。でも、『ブルー・バレンタイン』は眠くならなかったんだよな。あれは倦怠における、取り繕う状態を省略しているからなのかも。