OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

小さいおうち(山田洋次) ★★★★★

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 (@シネマパレット)
 歴史の不透明さに誠実に向かい合った作品。朝ドラのようなセットや芝居がかったセリフ回しがすべて有効に作用している。かといって、完全な絵空事にならないように役者の演技の間によって息が吹き込まれている。
 やはりびっくりしたのが、左がかったイメージの強かった山田洋次が、現代の左翼の傾向に対し、少々苦言を呈するようなメッセージを与えたこと。確かに、現代の人間は自分の都合よく歴史を捻じ曲げる傾向があり、それは左右変わらないのかもしれない。タキ婆さんも例外ではなく。
  ここ数作の山田洋次作品に関して、評価が低いのはわかるけど見過ごせない感じがしていたのは、それでも山田洋次はなんとか理解の壁を越えて若い世代に何か残そうとしていたと思うからで、この作品ではようやくそれが結実したその一端を感じました。歴史は不透明だし、それを語ることには困難がつきまとうけれども、それでも映画として歴史が地続きであることを納得させるという試みに成功しているように思ったからで。それはフィクションであることを常に意識させる演出や構成がうまく作用していると思うのです。前作では扱いきれていなかった小津風切り返しショットは今回、不意にぎょっとさせる役割を担っていた。ただ、僕がこの映画の中で印象に残ったのは動作の美しさ。内田樹小津安二郎の映画から「大人」の佇まいを知ったというようなことを書いていたけれども、まさしくそれがあった。着物を解く動作もそうだし、会話シーンでも常にタキが台を拭いていたり、食事の用意をしていたり、西瓜を切っていたり等している、その動作のすべてに「大人」としての像を感じた。台詞の、情報を過不足なく伝える様も魅力的だった。
それで、この映画のフィクション性は「戦争」という個人に大きな影を落とすものに対して大きく作用するのだけれども、それは空襲のシーンで最も大きな効果を与える。大林宣彦の『この空の花』を連想したが、山田監督にも同様の老獪さを感じた。
晩年の新藤兼人監督もそうなのだけれども、老境に差し掛かった監督のフィルムはその監督の頭の中をそのまま映しとっているような感触を受けるのです。もしかすると今後山田洋次監督は一作ごとに若返っていくのかもしれないと思いました。