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OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

『最高殊勲夫人』と『テラスハウス:クロージング・ドア』

2015年新作 旧作 movie

 かたや増村保造監督作品の中でも人気の高い映画。かたやフジテレビにて放映されていた恋愛バラエティ番組の劇場版。制作時期に50年以上も隔たりがあり、おそらくはこの二つのどちらも好きだという人はまれだと思うが、この二つを並べて見えてくるものがあった。
 実のところ、この二つに比べると完成度としては落ちるが、カンパニー松尾監督の『テレクラキャノンボール2013』にも通じる、ある種の恋愛の持つ非倫理性が浮き彫りになっている。
 僕が『テレクラキャノンボール2013』を観ていて、一番倫理センサーが反応したのは、容姿が劣っている女性を被写体として笑うところではない。この企画に登場したAV監督の嵐山みちると、撮影後に引退したAV女優の神谷まゆの間のロマンスを「演出」したところだった。
 実際問題、当人たちの間に恋愛感情があったかは知らない。そういった側面のあるものを、こうやってドキュメンタリー映画の中で描いていいのか、という葛藤があった。「ドキュメンタリー」として銘打っている以上、それは事実となるわけだし。加えてこの映画に関してはセックス産業に関わる人間の恋愛とは・・・ということまで考え出して、少し収集がつかなくなった。


 長い枕になったけれども、『最高殊勲夫人』(1959/増村保造テラスハウス:クロージング・ドア』(2015/前田真人)の2作に共通しているのは、この「他者の恋愛をエンターテイメント化するという、広く共有された非倫理的行為」についての批評性だ。
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『最高殊勲夫人』は結婚式場から始まる。既に長女の桃子(丹阿弥谷津子)は、会社を経営する三原一郎(船越英二)に嫁いでおり、実質的に彼を尻に敷き、権謀の限りを尽くしている(というのは言い過ぎか)。そして、この式場で結婚する次女の杉子(滝花久子)も、一郎の弟・二郎(北原義郎)と結婚した。そして、三女である野々宮杏子(若尾文子)と三原三郎(川口浩)は周囲に結婚することを期待されるが、お互いに恋人が居ることを宣言。そこに彼らに好意を寄せる人々が登場し、といった具合に騒々しく、かつ楽しく展開するスクリューボールコメディである。セリフが多いのだが、同じくらい人もカメラも動くので飽きさせない。日本で作られたコメディ映画の中でもトップクラスの出来になっている。
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 一方、『テラスハウス:クロージング・ドア』の世界からは結婚は排除されている*1。テレビシリーズの『テラスハウス』(2012~14)が終了後、ドアを開けて外の世界に羽ばたこうとした菅谷哲也は、映画が作られるということで新たに入居することになった松川佑依子を観て、退去を思いとどまる。そこに雑誌の編集者の小田部や過去のテラスハウスメンバーでもある島袋聖南等が参加し、恋愛模様を繰り広げるというのが大方のあらすじ。とはいえ、一応ドキュメンタリーという体をとっているものの、明らかに切り返しのショットを多用していたり、複数のカメラが用いられていたりと、劇映画に近い演出がなされており、観る者はこれをフィクションとして観ることになる。この「フィクション」という型にはめられた実在の人物という前提があるからこそ、彼らの考えていることだったり、関係性だったりが逆にリアルに思えてくる、その虚実の境目を楽しむという、今までになかったタイプの映画だと感じた。


 それで、この二つの映画を比べて、『最高殊勲夫人』では周囲の人々からつき合ってもいないのに結婚を望まれるということ、すなわちシステムに反抗する。『テラスハウス:クロージング・ドア』においては、登場しているのは一応実在の人物であるという体をとっているのにも関わらず、視聴者(観客)が演出によって彼らの間に恋愛感情が存在するものだとみなすという構造があり、実のところこの二つの構造は、「他者の恋愛をエンターテイメント化する」存在が画面の中にいるか外にいるかという違いはあれどよく似通っているのではないだろうか*2
 筆者個人の経験としても、ある集団に属していると誰かと付き合っていると誤解されるとか、そういったことはよくあった。つまりは、他人のスキャンダルを無責任に楽しみたいという欲望から発せられるものであり、当事者になってみるとまるで自分が一個人として扱われていないような思いもあったものだ。
 でもって、実のところワイドショーが売れるのもこういった無責任な欲望に応えた結果なのだろう。ひょっとすると我々が恋愛映画に惹かれる(あるいは苦手意識を持つ)のもそういった構造があってのことかもしれない。『テラスハウス:クロージング・ドア』は虚実の境目からその構造が見え、『最高殊勲夫人』はあくまでもコメディの舞台でシステムを打破する。いずれにせよ、巧みな批評性だ。

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*1:テラハメンバー間の恋愛に関わってくる者の中には離婚経験者もいる

*2:正確に言えば『テラスハウス:クロージング・ドア』において過去のテラハメンバーが「今も映画になるということで続いているらしい」と語るシーンがある点で、この映画の画面の中にもそういった人物はいるが