『HIGH&LOW THE MOVIE2 END OF SKY』
EXILEを始めとするプロジェクトLDHが中心になって製作された『HIGH&LOW』シリーズの劇場版2作目(スピンオフ除く)。
熱狂的なファンの多い作品であるので、批評には勇気がいるのだけれども、個人的にはそこまで合わなかったというのが正直なところ。
たとえば、美術が素晴らしいとか、構図が端正であるとか(これだけ整った構図を今年はあとどれくらい日本映画で拝めるだろう)、アクションが今までの日本のものとは別次元であるとか、それがLDHマネーによりメジャーで展開されていることの快哉だとか、ほめるべきところはたくさんある。
けれども、それらの要素がひとつながりになっていないため、ぶつ切りの感動でしかない。
確かに構成はまずい。問題だと思うのが、琥珀さん達MUGENと九龍グループの対立を軸としたUSBをめぐるエピソードと、SWORD地区とDOUBTの対立を軸とした抗争のエピソードが有機的に結びついていないこと。それでなくても、立木文彦のナレーションでルールを説明された後に「えっと、今のシーンはSWORDのWだからWHITE RASCALS」などと頭の中でこのお話がどこにあるのかをいちいち参照しなくてはいけないし、特に前半は先の二つのエピソードが並列で語られることもあって、エモーションが高鳴る前にシーンが移り変わることも、多々あった。
おそらくは、役者の顔と登場人物の関係性を事前に頭に叩き込んでいればそういった悩みもないのだろうけど、EXILEファンの方には申し訳ないが、SWORD地区で頭を張るのに適した顔は達磨の日向(林遣人)しかいないと思っている。あとは林には及ばないまでもROCKY(黒木啓司)には哀川翔成分を感じたかな。
と、まあ、散々文句を言ってきたけれども、こういった映画内の情報だけで語ることが、SWORD地区(この映画)に乗り込むにあたって得策じゃないことはわかっている。
この映画における二つのクライマックス(USBを巡るカーチェイスとSWORD地区VS.DOUBTの大規模すぎる喧嘩)には文脈を無視して盛り上げさせるものがあった。あと、MIGHTY WARRIORSの映画としての文脈を無視した尺をとったライブシーンもよかったな。あのシーンの抱擁は好きだ。
そして、あの喧嘩シーンにも夕陽が差し込むあたりに、ヤンキー映画としての系譜を感じたりした。