OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

『アウトレイジ 最終章』

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 北野武監督のヤクザ映画『アウトレイジ』シリーズの5年ぶり3作目となる作品。北野武監督作品としては通産18作目。

 たけし映画の特徴は数学的であること。『そのバカが止まらないーたけしの中級賢者学講座』(新潮社)において、犯人が3人人を殺すシーンを撮る場合、その人が歩くシーンに死体を3つインサートする方法もあるといい、これを因数分解の発想と言っていた。今回も最初の殺人においてはこれぞ北野映画という省略が見て取れる。

 特に、暴力映画において顕著な数学的方法が、等式であること。A(X+Y)+BY=AX+Y(A+B)というように、ある人物がある人物に対して借りがある、それを清算するための殺人または死というようなかたちで動いていく。そして、それが完全に清算された瞬間に、映画は終わる。
アウトレイジ』シリーズでは、特に1作目から2作目にかけてがそうだったのだけれども、前作で清算しきれていなかったものが次回作において清算されるような、そのような構造がある。

 そして、『アウトレイジ 最終章』('17)における主人公・大友(ビートたけし)は、まるでこの法則そのものになったような気さえする。美しく言えば、死の天使。

 インタビューなどで監督自身も言っていたが、確かに代表作『ソナチネ』('93)を連想させる部分は多い。
 ただ、『ソナチネ』にあった感傷などとは距離を置いている気がする。『BROTHER』('00)あたりではまだ『ソナチネ』の影響下にある感傷の残滓を感じたのだが、これは音楽を担当しているのが久石譲鈴木慶一かの違いだろうか。

 だから、大友は借りすなわち義理を動機としつつも、その執行においては本人の感知するところのみであり、あくまでも動き出したら止まらない暴力装置、この映画の中では法則と一体化している。そしてそれは、決して観客のカタルシスと一致しない。その意味では、『アウトレイジ』シリーズで最も娯楽的要素が強いのは『アウトレイジビヨンド』('12)であり、このカタルシスを排しつつも、『ソナチネ』の頃のような死の甘美さとも異なる感触はやはりまた別物。

 一方で、少なくとも一回見た限りでは、その法則に改修されない殺人があったような気もしたのも事実。つまり、数学的なエレガントを堪能しつつ、パズルがあと少しではまりきらない感触はした。
 ただ、『アウトレイジ』シリーズは2回目観て評価が上がることが多かったので、その点に関しては保留としたい。