OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

ひぐちアサ「ヤサシイワタシ」

今や「おおきく振りかぶって」で人気作家にと成長してしまったひぐちアサの、初単行本で、初連載作。僕がこれを読んだのは2004年の2月で、大学一年でした。
ストーリーは、大学2年で写真部に入った芹生がタイ旅行から帰ってきた弥恵と付き合い始めるが、彼女は奔放な言動と華麗なオトコ遍歴で名を馳せたサークルの要注意人物で・・・、といったところ。
<注意!ネタバレ含む。これから先はまだ読んでない人はなるべく読まないでください!>
今までに何回か読み返しているけれど、未だに咀嚼できていない。それは、言ってみるなら、俺がサークル活動っていうのの真っ只中にいるから客観的に評価できないんだろうし、それに、なんかこの作品は内包しているテーマはすごい深いからだとは思う。おそらくは、この作品はテーマの大きさとは裏腹にスタイルは写実的というか、説明的台詞を省いた表現になっていて、それがテーマを伝えるには十分に機能できていなかったところもあったかもしれない。その意味でこれは失敗作かも。だけど、まずそもそも大学のサークルを舞台にした漫画は少ない。よく考えれば、モラトリアムが最も表面的な形で出てきていて、社会に出る前の最後の灯火として人々がいろいろな表現をする場はサークルを置いて他にないと思う。逆に言えば、それゆえ表現としては痛くなる危険性を内包している。この作品も十分に痛い。けど、僕は痛みを感じさせない作品はやはり失敗だと思う。
この作品は、別に説明的な台詞を言っているわけじゃないし、サークル活動をしていればわかるけれどこんな台詞はそれなりに仲のいい人とは交わす機会もある。弥恵みたいな人もいるにはいる。危なっかしくて、どんな行動を起こすかわからないような人。明るいんだけど、同時にすごいダークな部分を持っている人。ただ、岡崎京子「Pink」のときも同じようなこと書いたけれど、弥恵は両親の不仲・離婚は経験しているけれど、そういった生い立ちが自殺の原因といえるのかなって。こういったことが起こると人々はすぐ親のせいにしたがるけど、同じような育ちでもきちんとやっている人もいるわけだし。社会性のなさなんてのは、それ以外のいろんなところに原因がある気がする。それは先天的なものかもしれないし。前彼の新城に暴力を求めたことも、新城をずっと引きずっていることも、公共の場・部室で一人ウツは入ることも。確かにそばにいたら迷惑千万なんだろうな。そういった弥恵を、ひぐちアサは結局どうあがいてもNo.2(新城の次)にしかなれない芹生の視点から書いているけど。あーっ、やっぱまとまんねえ!!いろいろと述べたりない気がする。社会に出て、そんな時代もあったねという立場になれば少しは言えるのか!?ひぐちアサはそういう立場なのか!?ただひとついえることは、確かに理解不能な作品は今までたくさん読んできたんだけど、何年かかっても理解したいと思うような、こんな漫画は他にない。
だから代返が効かない作品・作家なんだよね。
ちなみに、1巻に出てくる、おっぱいを使って目玉の親父の物まねをやるネタはアルファルファではなくシャカのネタです。

ヤサシイワタシ(1) (アフタヌーンKC)

ヤサシイワタシ(1) (アフタヌーンKC)