OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

岡村靖幸「家庭教師」

 不謹慎とは思うけど、やっぱり書こう。流行とかあまり関係なく、今聴きたい音楽や今読みたい本を記録するために始めたブログだから。
 岡村靖幸が1990年に発表した自身4枚目のアルバム。
 僕が初めて聴いたのが高2のころ、多分イタいと思われるかも知れないけど、修学旅行で行った東京で買った。岡村靖幸はそれまでも聴いたことあったんだけど、僕は完全にモテずだったのであまり歌詞に共感できなかった。今ではその歌詞も大好きなんだけれど。岡村靖幸は、歌詞では表面的に見るといい男みたいなんだけれど(初期は実際にルックスいいし)、それを繕ったそばからもてない男感がはみ出しているとか、そういったのが歌詞の魅力なんだと思います。それと、いろんな人が言っていることではあるけれど、童貞的な妄想とかね。このアルバム、特に表題曲とか聴いてみるとわかるけれど、完全に変態でしょ、この人。歌唱法も、一歩間違えればキモいし、実際にキモいって言う人も多いだろう。
 だけど、あからさまに喘ぎ声みたいなファルセットをつけた歌い方とか、16ビートを完全に掌中に収めたリズムとか、歌詞の割り方とか、唯一無二なんだよね、この人。ファンクの強烈なリズムが炸裂するトラックで、もてない男感満載の歌詞を歌う「どうなっちゃってんだよ」とか、岡村ちゃんのほかに歌える人はいない。名曲の誉れ高い「カルアミルク」「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」も、カルアミルクやバスケットボールなどを小道具に使っていながらも、決して臭くならず不思議とおしゃれな感じのする青春ソングという、この後の系譜にまったく見当たらない名曲。「祈りの季節」の、R&B風の泣いてるみたいな歌唱もいいし、全曲名曲。きっと岡村ちゃんがいなかったらJ-POPにファンクやR&Bが定着することはなかったんじゃない?

家庭教師

家庭教師

 でね、これは90年代を代表する名盤と捉えられる節が多いし、それに異論はないんだけど、少し違和感がある。岡村靖幸の世界観って、どうしても80年代なんだよね。岡村靖幸の曲には夜を感じさせる曲が多いのだけれど、どの夜の暗さも80年代っぽい。観念的なことなんでわからないかもしれないし、80年代を6年間しか体験していない上にその頃物心ついていない僕が言っても説得力ないかもだけれど、久保田利伸の「Missing」や聖飢魔?の「蝋人形の館」とつながった夜。90年代の小室ビートにも少しだけ受け継がれてはいるけれど、僕が思う80年代の夜は、どの時代よりも暗くて、田舎と都会が混ざり合っていて居心地が悪い。多分、尾崎豊の「15の夜」からスタートしている。 だから、覚醒剤でつかまったと聞いたとき、僕が想像したのは、そんな暗い夜の中でもがいている岡村靖幸の姿だった。そして、ファンの人には悪いけれどももう帰ってこないような気がした。
 このアルバム以降の岡村靖幸の活動休止について、時代が変わり援助交際ブルセラなどが蔓延る中で「純愛」思考の岡村ちゃんが苦悩したからだと、「禁じられた生きがい」や「聖書」の歌詞から考える人もいる。けど僕は同時に、今まで歌ってきた作品が年齢を重ねるにつれて矛盾してきてしまうことを自覚していたからじゃないかなとも思う。「家庭教師」の高評価がプレッシャーになったのかもしれないし、いずれにせよ、あまり公式にコメントしない岡村ちゃんなので推測の域を出ない。*1
 去年出た「Me-imi」は「家庭教師」とはまったく違う地平から出てきた名盤だった。正直に言ってメロディや歌詞や声に関しては衰えは隠せないんだけど、今までのどのアルバムよりもトラックがすばらしかった。リズムが強烈で、クラブでかかったら自然と踊りだすようなリズムだった。だけど、このアルバムが出たときのアー写はなんだか不穏な感じがした。
 人によっては、「家庭教師」の前から使用していたのではないかと考える人もいるらしい。今の時点ではどれも憶測の域を出ないが、どうかそうではないことを祈る。そして、本人からのコメントを待ちたいと思う。

*1:川本真琴岡村靖幸のファンクのリズムが90年代の風景と結実しケミストリーを起こした唯一の成功例だと思う