OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

音楽批評と情報量について

 最近、50年代のロックンロールを聴いて思うところあって、書かせていただきます。
 批評といっても、rockin' onに載っているようなものから、ブログで「かっけー!すげー!」と書いているものまで、多種に別れます。別にどちらのほうがいいと言っているわけではないです。
 それで、自分も音楽批評を書く際に使ってしまうことも多いのですが、「音楽性が多様」ということ。それを示す表現としての「××(アーティスト名やジャンル名)の影響を受けた」ということ。
 これってよく考えればおかしなことで、批評の目的からすれば、その音楽が何の影響を受けていようが、「いい」とは限らないわけです。したがって、「メロディがよい」「歌詞がすばらしい」「アレンジがすごい」「この作品がこの時期に発表されたということは」云々、といった表現に集中してくるわけです(これは自戒を込めて書かせていただきます)。
 語彙が豊かであれば、あるいはコード等の音楽的専門知識があれば、また違った批評も可能でしょう。ですが、すべての人がそういった能力を手に入れられるかといえば否なわけで、しかし好きな音楽を好きといいたい気持ちから、音楽批評が始まります。
 それで、ここからが本題になるのですが。
 わたしたちが「音楽批評」の名を借りてしていることは、「音楽に含まれている情報」の批評です。それが悪いというわけではなく、むしろ音楽というものも芸術である以上そのような批評方法は真っ当ともいえます。
 まずたいていこの種のブログ上の批評の対象になるのはポップミュージックの範疇に入るもので、これらの音楽の骨子は、勝手な解釈から言わせてもらえば、ロックンロールの誕生に端を発していると思うわけです。
 ロックンロール自体もブルースなど、影響を受けた音楽はあるわけですが、クラシックという芸術性の高さに対し、ひたすらエンターテイメント性を抽出したロックンロールは、それゆえに批評が意味を成さない音楽ともいえます。
 もしあなたが自分でテープを編集すると、70年代以降の音楽とロックンロールを続けた場合に、どうしても違和感を感じてしまうでしょう。それは、情報量の違いです。
 60年代にビートルズがポップミュージックを自らの創作性を積み挙げる場として用い、70年代には情報の統合体としての音楽の最たるジャンル・プログレが誕生し、それをぶっ壊す役目としてパンクロックが生まれたわけです。しかし、そのパンクも発生の瞬間から情報にまみれ、それゆえに名盤「London Calling(The Clash)」は生まれました。そして2006年現在、どの音楽も音楽的あるいは非音楽的情報を多量に身に持っています。
 むろん、ロックンロールもそれが世に出た瞬間から情報が含まれます。リトル・リチャードがチビでホモだということも、ファッツ・ドミノがデブだということも、バディ・ホリーのメガネも彼らの音楽を考える際の材料になってきます。また、当時のロッカーのカタギを外れた暮らしがその後のロックの精神性を決めたとも言えるのかもしれません。
 わたしがこのブログで音楽批評を行っているのも、技術より先に好きなものの好きさをアピールしたいという気持ちが先に立ったからです。そして、点数性にしたのは、昔とある雑誌で、音楽評論家の方々が「日本のストリートロック」というお題で好きなアルバムベスト20を挙げていて、それに対する主催者、まあ、イノマーさんですが、がコメントしていた「ランキングを作ることを通して自分の中の優先順位をつけていたのでしょう」というコメントが念頭にあって、点数をつけるのもいいかもと思ったからです。抽象的な「好きさ」をあらわす批評ならば、出来るだけ具体的に書いていきたいと思ったからです、まあ、現時点であまり具体的に書くという目標は達成できていませんが。
 もし音楽批評が情報批評にのみ陥ることにならずに、そしてよりよい文章力を手に入れられるまで、音楽や非音楽の批評はやめないでしょう。精進していきたいと思います。
グレイテスト・ヒッツ15 







Fats Domino - Greatest Hits 








Jerry Lee's Greatest 








ザ・ビートルズ 








狂気 









Never Mind the Bollocks