OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

トウキョウ・ソナタ(黒澤清)@桜坂劇場

 前半は良かったけれど、後半は凡庸な作品になってしまった。
 2008年は家族をテーマにした邦画が豊作で、とくに「ぐるりのこと」と「歩いても歩いても」がよかった。子供ができない夫婦を扱った「ぐるりのこと」、問題が表面化する前(子供が幼い)の時期と問題がうやむやになってしまった後(子供が成熟した)を対比させて描いた「歩いても歩いても」、に対し、これは思春期の子供と親という問題を(黒沢清にすると)ストレートに描いている。その分、テーマを直接台詞にしてしまって他の自然な台詞と比べて浮いてしまうという欠点があるけど。
 前半は黒沢監督特有の身体的にクる演出が冴え渡り、ハローワークの行列、天丼のように繰り返される黒須の携帯アラームなど、乾いた笑いを誘う演出が登場人物の悲惨な状況を浮かび上がらせていた。(良い意味で)見ててつらいけど最後まで見なければいけないという気にさせた。
 ただ、後半で役所広司演じる強盗が出てきたときに、あー、やっぱり外部からの要因で解決しちゃうのねと思ってしまった。
 山田太一のドラマ「岸辺のアルバム」(1977)では崩壊の危機に瀕した家族は家が洪水にあうことで一致団結した。森田芳光の映画「家族ゲーム」(1983)では松田優作演じる家庭教師がゴジラさながら家を物理的に破壊してカタストロフィを引き起こした。石井聰互の「逆噴射家族」(1984)では家族で殺し合いをさせて、ガス抜きさせた末に家を物理的に破壊した。1990年代に入るととたんに破壊衝動は薄れ、岡崎京子の漫画「エイリアン」(1989)では宇宙の果てから来たエイリアンの力をもってしても家族を再生させられないと言わせたし、極めつけは山本直樹の漫画「ありがとう」(1995)では家族が崩壊した末に解散してしまう。
 どれもこれも早い話が昔ながらの父権が失われて、主に思春期の子供との関係にヒビが入って決壊を引き起こしている。それを防ぐべく父親たちは父権を取り戻すべく奮闘したりしなかったり、しかし取り戻せた例は見当たらない。
 この手の家族ものは10年周期でやってくる。だからこそ2000年代を代表して香川照之には乗り越えてほしかった。しかし結局外部効果によるガス抜きで終わっている。このような問題は誰にでも起こりうるからこそ、解散の次の方法を見つけ出してほしかった。あと、息子が米兵に入る箇所もテーマをバラけさせていてマイナス。
 次の10年に期待。僕も父親になる可能性もあるし。ないか?