シャブ極道('96/細野辰興)
2011/6/23鑑賞
VHS(『大阪極道戦争 白の暴力/大阪極道戦争 白のエクスタシー』に改題)
序盤で、僕が日本映画に求めるものとは「夏のぬけがら」感:すなわち、夏の太陽の下ではみ出し者たちがもがいている感じなのだと再認識した。
それに加えて、日本版『グッドフェローズ』、日本版『スカーフェイス』を作ろうとしていて、しかもそれが或る程度までは成功しているところが素晴らしい。それらの映画の型をなぞっているにも関わらず、そのドメスティックさでもって唯一無二の個性を醸し出している。
この物語の推進力となるのは、役所広司演じる真壁五味というキャラクターの、狂気とカリスマの紙一重のところだ。
彼の、麻薬至上主義ははっきりいって無茶苦茶なんだ。
70年代の、彼の若かりし日には、そのカリスマ性は十分発揮される。
物語のキーポイントとなる鈴子(早乙女愛)を神崎から奪って逃げるところなんか、まさに彼のカリスマ性が発揮された部分といえるだろう。
だが、そんな彼も時代の変化と周りの成熟に取り残される。
特に、一度買春で捕まっていたときが境目だったな。
出所後も、彼のバランサーとなっていた下村(渡辺正行)が殺されて、五味は狂気へと傾いていく。
この下村の葬式シーンは、この部分だけでカルト映画認定してもいいんじゃないかというレベルだと思う。
下村の死体に縋って泣く場面の、舎弟たちと下村の遺族との温度差。
下村の娘・醒子の覚めた目線が印象的。あの目線で「そもそも殺したのはアンタでしょ」という思いが伝わってくる。
さらにその後、下村の棺から心臓を取り出して血を吸うとか、五味の狂気が最高潮に達した場面でもある。(後にその心臓が豚の心臓であることがわかるけど)
このシーンに限らず、
・神埼に頭を下げた際に過去の鈴子との睦言の様子を聴かされた後、鈴子に抱きついて彼女の持っていた包丁で指を切って鈴子に血を舐めさせるシークエンス
・下村の墓参りで舎弟たちに下村の骨を食べさせるシークエンス
・そしてラスト
などで、人体の一部を身体にとりこむことでその思いをつなぐ、といったことを描いている。
ただ、やはり監督は一種突き離して描いているんじゃないかなと思うんだよ。
なぜかというと、そういったシークエンスがちょっと笑えてくるから。
過剰さがコメディになっている。
「人間は、シャブで幸せになれるんじゃ」
「ワシがシャブで日本中を幸せにするか、神埼がシャブを撲滅させるか、勝負や」
「おまえも、シャブしゃぶしゃぶやってみるか?」
前述の葬式から墓参りまでのシークエンスで一度五味の狂気を描ききり、冷静な目を観客に提供する。
しかし、実は物語的にいえば正解は五味の方だったともいえるわけだよね。
実際に下村を殺したのは神崎であり、五味は神崎を殺すことで親殺しを達成する。
そして、ラストの鈴子と立てこもった家で、愛を確認する。
あのラストは本来あり得ないんだけど、やはり幻想で、きっと心中したんだろうなと思わせられる。
そのせつなさも見事だった。
こういった生と死の境目を観ることができるのも、日本映画の美徳である。
気になった点としては音楽の使い方がいくらなんでもダサ過ぎだろうということ。
追記する点として、親殺しの物語がベースにあったりと脚本も善く出来ているとおもう
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