OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

ブルーバレンタイン(★★★★★)


2011/7/23鑑賞

桜坂劇場にて。



  ある一人の夫婦の出会いと別れを描いた作品。

 構成が非常に巧妙だった。
 まず、あらかじめ映画の冒頭のシークエンスで夫婦それぞれの性格や、現時点で愛がさめきっている様子を描く。このあたり、非常に寒々しい色合いなど、演出も見事だと思う。
 そして時間が戻り2人が出会ったところを描く。ここで色合いがビビッドになる。2人の感情と呼応するかのように。

 この2つを交互に出していくという構成で、現在では出会ったころの気持ちが喪われてしまったということをまざまざと見せつける。例えば、2人が出会ったころに思いを重ねていた曲が、破局しつつある今はなんの響きももたらさなかったり。そこが、この映画があちこちで話題を呼んだゆえんだとおもう。

 ただ、それでも僕はこの構成に監督の仏心を感じた。
 だってさ、現実に破局を経験するものは、当たり前だけれどもそれを時系列順に経験する。だから救いがないのだ。
『(500)日のサマー』然り、予め破局するということを予感させるシークエンスを冒頭に置くことによって観客に心の準備をさせるのは監督の心遣いである。
 それに、正直にいってその出来事を直視できる作家なんて、いや、男性なんてこの世にいないとおもう。

 明確にどちらかに問題があるならまだしも、問題の所在が不明瞭だったり、あるいはその問題があることがわかっていつつも、それを矯正することが不可能だったりする場合、どうしようもないという事実からは、誰だって目をそむけたい。
 例えば、この映画の主人公の一人ディーンは子供っぽい部分があり、確かに出会った際にはそれは彼の魅力を形成していたはずなのだ。しかしながら、破局の原因もまたそれによってもたらされる。

 こういった身も蓋もない現実をテーマにしていながらも、観客への配慮や最後に配置された綺麗な花火によって、ほろ苦いテイストにとどまる形で観客の前に出される。それを観て我々は過去のあやまちが浄化されていくのを感じることができるのだと思った。