一枚のハガキ(★★★★★)
@桜坂劇場Aホール
なんか、一種のエクストリームな映画だった。
一応、暴力もおっぱいも出てきたし。
まず、冒頭で天理教の施設の掃除が終わった兵隊たちを前に隊長が言う台詞。
なんていうか、物事を説明するのが苦手な自分として、あそこまではっきりと説明されると一種の快感だった。
基本的に、映画って台詞ですべてを説明してはいけないと言われているけれど、クリント・イーストウッドが『グラン・トリノ』でコワルスキー老人の独り言としてサクサク処理していったように、老境に達するとそんな域にないのかもしれないな。
あとね、時間が飛ぶときに、唐突に飛ぶわけよ。
例えば、普通だったら色合いを変えたりとか、そういったところで変化つけるわけでしょ。
でも、それもないわけ。
しかも、それでも十分わかるわけ。
あとね、柄本明がさ、戦死した息子の嫁に、わしらだけでは飢え死にしてしまうから留まってくれだの、ついでに息子の弟と結婚してくれだの、この厚かましさ、ね。
これは後半との対比になるわけだけれども、逆にもう、こういった思考回路が普通になっているということというか、この時点で息子の嫁・友子の人生とか、個の人格とか、そういったものは考えてないわけでしょ。
で、友子演じる大竹しのぶの、もうすべてをあきらめきっている感じも、ちょっと怖かった。
あとは、大竹しのぶと後々関わってくる豊川悦司に関するエピソードも、また、このトヨエツ嫁が本当にろくでもない人間で。
「あんたなんか、戦死すればよかったんだ」
なんてさ。絶対言ってはいけない台詞じゃん。
このあたりの嫌な人物のオンパレードはさ、この映画のエクストリームな部分よ。
けど、一言だけ言わせてもらうなら、トヨエツのエピソードはまだ戦争とのかかわりを認めることができるが、大竹しのぶ関連で言えば、ここに出てくる人間の人でなし具合というのは、戦争云々というより、もっと根が深い、貧困だとか(これも間接的に関連があるかもしれないが)、日本特有の村社会だとか、そういったものがあると思います。
だから、大竹しのぶ部分で反戦を語るのは、少し物語の骨格にあたるテーマがぐらつくかな?
あとはねえ。大竹しのぶの死神具合も、一種笑えるほどだった。
大竹しのぶの演技はすごい。これはなんか賞をもらうよ。家の廃れ具合もやばいくらいリアルに感じた。
全然お金かけているわけではないんだけれど、この家はちゃんと終戦直後の家なんだと、思った。
あとは、トヨエツと大杉漣の喧嘩の、いつの時代の映画だってくらいのへぼい演出、とかね。
終盤、反戦に関するメッセージを直接的に言うわけですが、ただ、ここでテーマは、まずトヨエツがくじ運がよくて生き残ったということと、それに対して、好むと好まざるに不条理な運命に組み込まれてきた大竹しのぶの対比が示されることで、戦争よりもっと、人間の運命というものに関する不条理さへの憤りのない思いというのが、出てくる。
反戦映画としては、テーマとしてはボケてしまっていると思う。
ただ、この「戦争」というものについても、結局運命的に、どうしようもないものなんだ。
それでも、一からやり直していけばいいというのは、非常に意味のある問いかけだと感じた。
ただね、「一枚のハガキ」というタイトルのダサさは、なんか絶対つけちゃいけないタイトルのような気がする。
前作の「石内尋常高等小学校 花は散れども」というタイトルの方が、その時代錯誤具合も含め、一種のモンド感を感じさせるのに対し、これはそういったダサさも感じさせない。なんていうか、ダサい以前の問題。
ただ、それゆえこの映画って、全世界及び全時代のどこにもない映画になってしまっているという思いが強まる。
これを観ることができたのは或る意味貴重な体験だった。