OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

ふゆの獣(★★★★★)

 内田伸輝監督。わずか100万円あまりの予算で撮られた作品。


 この映画を観て考えたのは、日常生活で発せられる台詞と、ドキュメンタリーで発せられる台詞と、フィクション映画で発せられる台詞に、違いはないのではないかということだ。
 はじめに状況説明として半同棲中のカップルのカンバセーションが置かれ、それに彼氏と浮気中の女性や、彼女に片思いする男性が絡んでいく。会話から徐々にこれらのことは明らかになっていくのだが、その中で、たとえば女性が、彼氏が浮気をしているのは知っているが黙認している、そのことは確かに矛盾しているかもしれないが、それでも彼氏を好きで居続けざるをえない、ということを他者に説明しようと言葉を選び選び発言する様子が印象的だった。
 演じた女優さんと映画内の女性は別人だがほぼ即興的な手法を用いているがゆえに、おそらくは発言に女優さん自身の姿が浮かび上がるかもしれない。そこには、「きわめて現実に近いものをみたい」という映画的欲求に合致した場面ば発生する。
 ここに出てくる役者はすべて無名だ。

 よくよく考えると、登場人物たちはステロタイプなのかもしれない。
 浮気性の男性に、尽くす女タイプの彼女、その彼女に片思いする経験値少なげな男性に、浮気相手の女性。

 しかしながら、ほぼ即興の演出を施されたこれらのキャラクターは、観客が目をそむけたくなるほどのリアルさでもって私たちを圧倒する。


 特に後半の修羅場がものすごい。
 キングオブコメディパーケンにそっくりな男が話す内容はある意味正論、いや、間違っているけれども説得力がある。
 今すぐスクリーンの中に入って行って殴りたい。

 そう思わせるに十分なほどだ。

 ここで感じたのは、彼には確かに他者を思いやる人間性とか、そういった善性が欠けている。しかしながら、そのことが恋愛においては決してマイナスにはたらくとは限らない。むしろ、どれほどひどいことをしていても罪悪感を感じないという、一般の常識に照らし合わせば悪徳としか言えないところに女性たちは惹かれているのかもしれない。スクリーンの前でチクショーと思いながら、そんなことを考えた。