OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

中島美代子『らも―中島らもとの三十五年』

 2004年に亡くなった作家・中島らもの半生を夫人の美代子氏が振り返った書。
 僕は中学生のころから中島らものエッセイをよく読んでいた。堕落した生活やヒッピーに影響を受けたと思われる思想を柔らかくユーモラスな文体で語る中島らも氏のエッセイを愛読し、特に『僕の踏まれた町と僕が踏まれた町』は何度も読み返した。
 しかしながら、中島らも氏の語りには騙りがあった。ユーモアとペーソスに塗しているものの、その根底にはちょっと笑い事ではすまない堕落した生活があった。アルコールに浸っていた時期など、周りの人から見ればたまったものじゃなかっただろう。
 もちろん、そういった状況を笑い飛ばすことに彼の文章の魅力はあるのだが、そんな中島らも氏の実態を他者の目より丸裸にしたのが、この本である。淡々とした語り口で描かれているが、それは普段の中島らも氏のエッセイから受ける印象から見ると、あまりにも壮絶だった。
 もし、多感な時期にこの本を読んでいたら中島らものことが嫌いになっていただろう。今なら、この明らかに人間として許されない範囲まで来ているところも含めて中島らもという人間が大好きであると言えるのだが。

 そして、もうひとつ思うのが、中島美代子夫人の待ち続けたという事実の凄さだ。
 中島らもは長期間美代子夫人の元へは帰らなかった。公然の愛人がいたからだ。
 そして、劇団を譲渡し、身体もボロボロになって初めて美代子夫人の元へ帰ってきた。実に、10年ものあいだ戻らなかったにも関わらず。
 おそらくは、美代子夫人にはらも氏が必ず帰ってきてくれるという自信があったに違いない。肉体的なものが衰えて、それでも依り処にしてくれるのが自分だという自信が。
 それは人によっては理想的な関係と見る人もいるかもしれない。
 しかしながら、美代子夫人がそれまでに経験してきた。言葉の暴力の数々や、フーテンの日々など、あまりにも壮絶な経験と照らし合わせると、ちょっと執念にも似た恐ろしいものを感じてしまう。
 なぜこの本を書くことが出来たのかといえば、それは美代子夫人が最後に「勝った」からに他ならない。
 それまで待つことができた彼女を突き動かしていたものは、果たして「愛」と呼べるのか。
 そんなことが気にかかった。