抱きたいカンケイ(★★☆☆☆)
2011/12/27鑑賞
DVD
『抱きたいカンケイ』を観ました。付き合うということはどういうことなのだろうとかんがえました。
ストーリーは実に王道で、反目し合っていた者たちが実はお似合いであるという、すでに自分たちの中にあった答えに気づく物語で、斬新さは特にない。強いていえば、セックスだけの関係を結ぶ際に細かくルールを決めるところ(ここは後半への伏線にもなっていてよかった)や、前述の関係を結んだ故に恋人同士でするような行為をとった際の反応が通常とは逆になるところなどが面白かった。あとは、ケンカのシーンでエマ(ナタリー・ポートマン)の押し方が全然力があるように見えなかったところがリアルだなー、とか。
それと、ちょうど真ん中に位置するシーンでエマが、主人公たちを苦しめるあるキャラクターたちに啖呵を切ったシーンはすごく好きだ。本当にアダム(アシュトン・カッチャー)に合う相手はエマなのだという気持ちになれて、後半のあるところくらいまでは、このカップルどうかくっついてくれという気分になる。
ただ、個人的にこの映画についてどうしても思ってしまうことがある。
「正義」の考え方が『ダークナイト』(2008)以前と以後で変わってしまったように、「恋愛」についての考え方もある映画の登場を境にして変わっているとは思うのだ。それは、『(500)日のサマー』(2010)。
『(500)日のサマー』の何が画期的だったかというと、結局最後までサマーが何を考えていたのかわからないところだ。サマーの行動原理は確かに論理では説明しかねる部分もある。その表現があの時系列をバラバラにするという構成にハマっていた。あとは、久保ミツロウの漫画『モテキ』の小宮山夏樹にもその「わけのわからなさ」を感じる。
これはもう完全に言いがかりに近いけれど、結局『抱きたいカンケイ』のエマの行動様式は全然論理的に説明可能であり、ご丁寧にも終盤にはきちんと本人の口から語られる。彼女は自分があまりにも相手のことを愛しすぎてしまうのが怖かったため割り切った関係を望んでいたのだと。それはそれで確かに共感できないこともない。だから、エマというキャラクターは、あくまでも物語の枠内に収まり実人生に深く影響を与えるレベルのキャラクターにはなれない。早い話が、僕たちの過去の恋愛のトラウマをえぐるレベルに達していない。
そのほかには、脚本的にアダム(アシュトン・カッチャー)の仕事上での成長物語と恋愛の側面の呼応が上手くいっていないように思ったのと、後半はちょっと色々な考え方を詰め込み過ぎて散漫な印象を受けたのが残念でした。あとは、あるキャラクターがちょっと悪く描かれ過ぎてフォローがないところも気になりました。
そして、最大の欠点は、ナタリー・ポートマンが全然エロくないところ。黒鳥を演じて官能性を手に入れるのはまだ先の話なのでした。
- 出版社/メーカー: パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
- 発売日: 2013/04/12
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