OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

アメリカン・ティーン('08/ナネット・バーンスタイン)(★★★★☆)

 2008年公開。ナテット・バーンスタイン監督によるアメリカの学園生活を描いたドキュメンタリー。



 はじめに、性格の悪い僕が考えたこと、そして多くの人が抱くであろう疑問がある。

 これってやらせじゃね?

 だって、今まで僕が見てきたアメリカの学園映画やらドラマやらとほとんど変わらないのだから。これは、もちろんジョン・ヒューズをはじめとする作り手たちの手腕が見事だったというのもあるけれども、同時に、僕等が心のどっかであこがれているアメリカ文化というのは、アメリカ人にとっては当たり前のことなんだということを感じて、欧米コンプレックスを再認識しちょっと落ち込んだ。

 しかしながら、後述するこの映画が伝えたいテーマへのアプローチとして、この映画の手法は明らかに適切であり、その場合において前述の疑問というのは決して不誠実たりえないとかんがえる。観進めていけば決して「演出」ばかりじゃないことが説得力をもって響いてくるはず。



 あと、前述の疑問が出てくる理由として、やはりこんなに劇的に物語が進むかなあというところだったり、こんなシーン撮れるのかなあというところだったりする。

 しかしながら、観進めていくうちに思ったのだが、決してこの映画では物語を進めるベストショットが撮れているわけではない。例えば、ハンナが親を説得する場面など、どうやって説得に成功したのかというところは描かれていない。あまりにも編集の手法が上手いので観落としそうになるが、きちんと省略をしているのだ。

 同時に、ここは監督の手心だと思った。つまり、ほんとうに大事なことはカメラの前では起こらないことをわかっている。だから、あくまでもナネット監督は過程を描くことで登場人物たちがどのようにして彼ら自身の人生をコントロールするすべを求めているか、その困難と苦労と一筋の希望をあらわにしているのだろう。



 そして、今から述べる理由がこの物語がフィクションでない一番の証左だと思う。

 それは、登場人物たちが決していい奴ばかりじゃないこと。

 例えば、「女王様」メーガン。彼女はいわゆる学園ヒエラルキーの頂点に位置しているが、その一方で姉の自殺など過去のトラウマがあったりする、奥行きのあるキャラクターである。だが、そのことを考慮に入れたところで彼女の行動はとてもじゃないが弁護できない。特にエリカにまつわるエピソードなど最低だと思った。しかも、決してこのメーガンは禊をすませるわけじゃない。確かに彼女の行きすぎた行動がもとで仲違したりはするものの、結局は彼女は反省も何もしていないわけだから(しかもかなり順風満帆な進路)。

 おそらくは観客にとってもっとも共感できるキャラクターはハンナだろう。自分のやりたいことを見つけきれない焦燥感も、親の無理解との衝突も、非常に日本人の共感に足るようなエピソードが多いからだ。余談だが、僕は昔ハンナに似た女の子を好きになったことだってある。しかしながら、そんな魅力的なキャラクターである彼女だって視野狭窄に陥っている感もあるし、明らかのその点をこの映画は強調して描いている。それは、高校を卒業して10年になろうという今だからわかることだけれども。



 実は、ここがこの『アメリカン・ティーン』という映画が、過去の青春映画をドキュメンタリーでやっただけの作品に留まらせていない部分なのだ。つまりは、結局のところヒエラルキーをひっくり返すことはできないし、ティーンのころの僕たちの視野なんてせまく、考え方だって成熟していない。けれども、その成熟していない頭で必死に考える姿こそが美しいんだ、と過去の自分を肯定してもらっているような気分になるからだ。



 と、言いつつも、結局はこの映画に出てくる映像はベストテイクではないのだろうなと思わせられてしまうところが、この映画の限界だと思う。理想像としては、完全に仲間内で撮ったビデオ映像を編集して物語が出来てしまうような、言わば学園版『ブレアウィッチ・プロジェクト』のような作品が理想だとは思うが、まあ、無理だってことは分かっているけれどね。あとは、これも映画としては正解だとはわかっていつつも、もうちょっとだけカタルシスが欲しかった気がするんだよなあ。



 個人的にこの映画を観ていて一番連想した作品は、安達哲の漫画『キラキラ!』('89-90)だった。なんだろう。なんか学園描写がすごく似ている気がした。ティーンのままならぬ心情をままならぬままで描いている感じとか。

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