アンダーグラウンド('96/エミール・クストリッツァ)
2012/5/2鑑賞
@桜坂劇場Bホール
旧ユーゴスラビアの映画監督エミール・クストリッツァの代表作という枠を飛び越えて、映画史に残る傑作!
確か大学時代に友人のフェイヴァリットムービーだったので観たのが最初。今回、約5年ぶりの再鑑賞。
あくまでも、解釈の途中にすぎないのだけれども、おもな登場人物、すなわち、策略家のマルコと武闘派のクロ、彼らを振り回す悪女のナタリアに純粋無垢なイヴァンの4人は、戦後の旧ユーゴスラビアの側面をそれぞれ現わしているのではないかと思った。
ぼくは、マルコが国家、クロが軍事力(あるいは戦争に向かうパワーのようなもの)、ナタリアはこれらの関係性を悪化させる原因となったもの、そしてイヴァンが国民を現わしているのではないかと考えた。
ただ、ユーゴスラビア関連についてはまだ調べきっていないので、自信を持ってはいえないのだけれども・・・。
こう考えると、だ。例えば、ストーリーの基本設定となる、戦争が終了してもそれを知らせず地下でひたすら武器を製造させたというのは、まさに政府による国民への欺瞞を現わす。じじつ、チトー政権は財政的にひっ迫していたにも関わらず、チトーの余命を考え外国債の購入を続けた結果、チトー政権崩壊後に国家自体が破綻しているわけだし。
このように、影絵としての解釈が多様に可能な作品だと思うので、今後調べていきたいと思った。
また、中盤以降の物語のグルーヴはすさまじい。
特に、水の中のあるシーン以降、この映画はマジックリアリズムの様相を現わす。「マジックリアリズム」とは文学用語で、歴史の大きな流れの中で現実に相反した状態が発生することを言うらしい(詳しい人にはつっこまれそう・・・)。おそらく、ロシアの作家・ブルガーコフの作品に顕著なように、その背景にはあまりにも直視しがたい冷徹な現実がある。この映画は全体的にブラックコメディに近い印象を与えるが、それは、このユーモアによって中和しないといけないほどのものが描かれている証左にほかならない。
そういった数々の要素が破綻すれすれで折り重なることで、物語のグルーヴが生まれている。
余談だけれども、終盤に車いすに乗せられた焼死体がグルグル回るシーンがあるのだが、あれを見て「ダウンタウンのごっつええ感じ」のコーナー「カスタムひかる」を思い出したのはぼくだけだろうか。
松本人志演じるヒーロー・カスタムひかるが敵の極キラー(浜田雅功)に勝負を挑むも最後には必ず負けるというコントで、一回、カスタムひかるの首が模型の列車にのってグルグル回るというのがあったのだ。
奇しくも、90年代中盤という時期に、中東の天才・クストリッツァと東洋の天才・松本人志の感性が一致した瞬間だったのかもしれない。
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2012/04/28
- メディア: Blu-ray
- 購入: 3人 クリック: 51回
- この商品を含むブログ (7件) を見る