Blankey Jet City『VANISHING POINT』(★★★★☆)
2013/1/26鑑賞
@桜坂劇場
Blankey Jet Cityが解散前に行ったツアーの模様を収めたドキュメンタリー映画。
最初に言っておくと、残念ながらブランキー・ジェット・シティー(以下ブランキー)について何らの思い入れがない者に訴えかけるようなつくりにはなっていない。音楽ドキュメンタリーに付き物の、アーティストのフィルモグラフィーを振り返るような箇所もない。ただひたすら、ツアーの模様だけを映す。
正直にいえば、メンバーの名前やタイトルが出るところなど、ブランキーの名にはふさわしくない(ださい)と思った。『監督失格』('11)のような字幕で青臭い所感が述べられるところもいささか興ざめではある。
だが、ブランキーのファンとしていろいろ思うところがあった。
この映画の中のブランキーは後期も後期、解散直前なわけで、「最高のアルバムが出来たので俺達は解散します」と宣言しているものの、人によって異なるだろうが、最盛期は過ぎているとされる。ツアーの中で、前半は思いのグルーヴが出せないことによる葛藤が描かれる。
ここがぼくには思いのほかショッキングだった。
なんというか、子供のころあこがれていたヒーローも苦悩していたんだと思い知らされた。
ブランキーといえば、繊細な感受性を持った浅井健一による歌詞と憂いを帯びた歌声、そして奔放な3人のプレイ、こういったパブリックイメージで語られる。ぼくの持っていたイメージもそれと大凡違わない。
けれども、この映画の中に出てくる浅井健一や照井利幸は、ステージの後に自分がミスをしたことを悔やみ、ステージ上では時に不安な顔をして他のメンバーを見つめる。その姿は時として脆いイメージを受けるし、当たり前なのだがブランキーの3人も「社会人」なのだと思わせられる。中村達也が比較的パブリックイメージに近かったのが少し救いだった。
そもそも、だ。ブランキーの3人は3人とも個性的なプレーヤーであり、この3人が同じバンドで鳴らしていて成立していたのは奇跡ではなかったか?実際にツアー前半では噛み合っていない印象すら受ける。
この映画では全盛期の演奏の様子を見せていない。物語の終わりだけを見せている。
後半に行くにしたがって一応の解決は見せる。だが、解決したところで先に待っているのは「解散」なのだ。実際に、葛藤をぶつけ合ってふっきれたように観えるライブから横浜アリーナでの解散ライブの模様は驚くほどあっけなく流される。
ぼくにとってはこの「葛藤」があまりにも大きすぎて、その後の解決が頭に入らなかったのも事実。
ブランキーという、最強にも思えた共同体すら破綻する。本来ならバラバラの3人が音を鳴らして、それでもうまくいっていた時期があった。それはバンドのマジックだ。しかし、そんな季節も過ぎ去った。
「音楽性の違い」や「このバンドでやれることはやりきった」というクリシェでよく語られるバンド解散の理由。しかし、本来はクリシェに頼らざるを得ないほど、言語化できない、不可逆な何かがあって、解散する。
ここに、人間同士のコミュニケーションの限界を見てしまった。
ちなみに、ぼくは13年前にこのツアーに参戦していたのだが、参戦したライブ(今は亡きダンスクラブ松下で行われた)の模様が映ったのは1分以下だった。それと、本当のラストライブであるフジロックの模様がカットされたのも興味深い。