OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

『華麗なるギャツビー(2013年版)』(★★★★☆)

 スコット・フィツジェラルドによるアメリカ文学史に燦然と輝く小説を、『シカゴ』('02)等ミュージカル映画における仕事で知られるバズ・ラーマン監督が映画化。
 ギャツビーというキャラクターがアメリカの青春を象徴しているキャラクターであるため、映画そのものが普遍的な青春の終焉を描かなくてはいけないわけですが、その描き方がぐっときました。
 ふと思ったけれど、この映画で描かれる1920年代というのは、トーキー映画の黎明期であり、トーキー映画1作目の『ジャズ・シンガー』('27)が音楽映画であることを考えるとバズ・ラーマン監督の起用と言うのは特に気を衒ったわけではないのかもしれない。



 完全に空中キャンプさんからの受け売りだが、フィツジェラルドという小説家は青春の栄光にしがみつくあまり30歳以降の人生を余生のように送ってしまった人物です。そしてそれは世界恐慌により力を失ったアメリカの歴史とリンクする。 
 

 で、ぼく自身もこの映画内のトビー・マグワイアと同じ29歳で、もうすぐ30歳になるわけだけれども、この青春の終焉を常々感じている。Facebookを見ればパーティーの記録しか上がってこない。20代前半くらいまでは悩みを投稿する人もいたけれども、皆分別がついたのか、内面が変わったのかそれはわからない。ともかく、もうすぐパーティーが終わることを知っているから、せめて今だけと楽しんでいる。この映画を見、20代後半の心情が普遍的なものだと思った。
 

 やはり、パーティーの描写が素晴らしい。コッポラ娘版『マリー・アントワネット』('06)のように現代の既存曲を用いて歴史を語る方式なのだけれども、使われている楽曲が完全にクラブでかかりそうな、というか、絶妙にミーハーでキッチュなのだ。このあたり賛否両論あるだろうけど、ぼくは前述の意図があると思うので支持したい。
 実は前半のパーティー描写は情報処理がおっつかないくらいのスピードで描かれるので、若干の居心地の悪さを覚える。しかし、ある一定の時間を過ぎると途端に落ち着いてくる。そして、そここそが終焉の始まりなのだ。
 後半の見せ場は修羅場だけれども、ここが本当に悲しかったですね。やはり出自は変えられないのか、という。アメリカ自体が歴史が浅いこともあって、過去をなんとしてでも補強したいという部分が強いと思うのですが、それをディカプリオの演技は体現していた。
 たぶん原作からそうなのだと思うけれど(不勉強ながら未読です)、ストーリーの一貫性は薄い。ただし、そこを映像の力で補っている。かつ、この映像自体がテーマに結びついているので飽きさせない。2時間強があっという間だった。


 RottenTomatosでは評価の低いこの映画だが、ぼくは支持したいと思います。