OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

まつらいさんのこと

 一番なじみのあった呼び方で書く。


 声優の「まつらいさん」こと、松来未佑さんが亡くなった。僕は決して彼女の熱心なファンというわけじゃなかったけど、『ひだまりスケッチ」の吉野屋先生など大好きなキャラクターに声を当てていたことで好感を持っていたし、なにより『デコピンないと』や『ひだまりらじお』といったラジオ番組でのその人本人の面白さに惹かれていた。


 正直にいうと、亡くなったという実感がない。DVDやラジオの動画を引っぱり出してきて彼女がしゃべっているのを聴くと「いや、生きてるでしょ」としか思えない。彼女の代表作である『蒼穹のファフナー』や『ダ・カーポ』シリーズを観ていない状態で発言するのは心もとないけど、彼女の声や演じる役柄はひたすら陽性で、死の影なんて見えなかったから。
 それに、仲の良かった声優さんたちが思い出を語った文章があちらこちらにある以上、ただの一ファンに過ぎない自分が文章を紡ぐことに何の意味があるのだろうと考えてしまう。哀悼の意を表明することにルールは無いとは言え、決して熱心なファンとは言えなかった僕よりも語るにふさわしい人はたくさんいるように思えるから。
 けれども、自分の気持ちが収まりがつかないから、自分のために書かせて頂く。


 まつらいさんが生前どれだけすごかったかを、あまりアニメを知らない人に説明しようとするとき、少し困ってしまった。アニメにそれほど興味がない人にもわかるようなタイトルがとっさに思いつかなかったから。とりあえずは『ハヤテのごとく!』や『さよなら絶望先生』の名前を出したけど。
 怒られるかもしれないけど、まつらいさんはいわゆる「覇権アニメ」にはあまり出ていなかった気がする。この場合の「覇権アニメ」というのは、単純に放送時間帯や売上だけで測れるものじゃなくて、その作品の考え方や方向性から来るものとして考えた。例えば、まつらいさんはシャフトの常連だったけど、『物語』シリーズにも『魔法少女まどか☆マギカ』にも出なかった。マミさんとかまつらいさんの声も似合いそうなものなのに。そして、『ひだまりスケッチ』には「覇権アニメ」という言い方は似合わないように思う。
 今になって思えば、まつらいさんにはこの立ち位置が似合っていたように思うのだ。
 同じような立ち位置にいた人がいる。岡崎律子さん。同じく優しい声を持っていた、早世したシンガーソングライター。彼女の曲が使われていた作品にも「覇権アニメ」という呼び名は似合わなかった。
 きっと、アニメの世界には「覇権アニメ」とはまた別の、競争性から自由な風が吹いている場所があり、そこでは岡崎律子さんやまつらいさんのような優しい声が響いていた。そんな場所があるから、僕はいつでも戻ってこられると信じていた。

 

 本当にありがとうございました。ゆっくり休んでください。