OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

『君の膵臓をたべたい』

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 住野よるによる小説の映画化。2017年製作。監督は『黒崎くんの言いなりになんかならない』('16)などで知られる月川翔。長編としては2011年のデビュー以来、11作目となるらしい。スゲェ!

 内容は、内気な図書委員の高校生(北村匠海)が膵臓に病気を抱えて余命いくばくもない少女・桜良(浜辺美波)と出会い、自分の世界を広げていくというもの。

 映画として特別なことを行っているわけではない。ふつう。でも、この映画が「余命いくばくもない少女が、ふつうに生きること」を選び、そのふつうの素晴らしさを照らしなおす役割をしているのであれば、このふつうさにも意味があると言えるのではないだろうか。泣いた。

 浜辺美波は、『咲ーsakiー』('17)の宮原咲役が抜けきっていないのか、マンガ演技ではあるのだけれども、この演技がなんとも良い。不自然な明るさなのだけれども、それがこの物語の設定を飲み込みやすくしているというか。悲惨さを中和しているというか。
 主人公の現在を演じる小栗旬も良い。彼は数々の漫画キャラクターを演じてきた。だから、ベースにあるのはマンガ演技。で、冒頭で出てきて、うつろな目で授業して歩いている。それは、本来はマンガ演技の人が無理してリアリズムの演技をしているように見える。このマージナル・マン感が、私たちを現実の世知辛さから浜辺美波の演技に代表されるファンタジーへと橋渡しをしている。
 
 ただ、この物語がはたしてリアリズム一辺倒の演技で見せられて、説得力をもったかというと、それは疑問。ある種のファンタジー的な部分があったからこそ、限られた時間を精一杯に生きることという気恥ずかしさの伴うメッセージをすんなり受け入れられたのではないか、というのが、泣いた自分により自己分析。

 過去パートのマンガ演技というのはどことなく失われたイノセンスのような部分もある。小栗旬による現代パートから過去パートに飛ぶときの『サニー 永遠の仲間たち』('11)のような演出は、自分の弱いところをつかまれた気がした。