OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

リリイ・シュシュのすべて

監督・脚本:岩井俊二
キャスト:市原隼人忍成修吾蒼井優伊藤歩勝地涼五十畑迅人郭智博、田中丈資、土倉有貴、南イサム、吉岡麻由子、大沢たかお稲森いずみ市川実和子杉本哲太

 一年前に見たのだけれど、そのときには映画鑑賞力が今よりなかったゆえに、早い話が、市川隼人と忍成修吾蒼井優伊藤歩の区別がつかなかったゆえに、気になるものはあったのだけれど、何か理解しきれない気があった。それで、二度目の鑑賞をした。
 とりあえず、これを見てなぜか連想した作品。
ひぐちアサ「ヤサシイワタシ」
岡崎京子「リバーズエッジ」
The ピーズ「とどめをハデにくれ」
新世紀エヴァンゲリオン
おそらくひぐちアサ岡崎京子は死との距離のとり方が、ピーズは夕暮れの情景の描き方が近いところがあるのだと思う。エヴァは、ラストの市川隼人の叫びがシンジくんのそれと重なった。
全編を通してリリイ・シュシュのどこか憂いを含んだ歌とドビュッシーの美しい旋律が流れて、醜い情景が描かれる。それでも田園の中でリリイを聴く市川隼人とか、蒼井優が空を見上げたときに編隊飛行をするカイトとか、美しいシーンはたくさんあって、アートだなあと感じさせる。あと、この映画の中に出てくるせりふはどれも自然で、それゆえ現実感がある。「生きる」という感触から浮遊したような現実感が。そしてビデオカメラの手ブレを効果的に使った映像は酔いそうにもなるけど不安的な感触がこの映画にはあっている。
この映画には、自分にとって「合唱」と「沖縄」というキーワードが重なってくる。「沖縄」は僕の出身地で、そのまがまがしさが描かれていたのがよかった。外部からクリックした沖縄像と、その内部から見る沖縄像にはやはり齟齬がある。そして、沖縄でこの映画最初の死人が、何の死亡フラグも見せずに出てきて、そしてその後星野(忍成)は不良少年へ豹変する。
星野の豹変の理由は、神崎(松田一沙)が語っているように親の会社の倒産による一家離散だと思われているけれど、それがなくても遅かれ早かれ彼は非行化していたのではないかと考えられる。優秀生徒として入ってきて、けどそれはクラスメイトとの壁にしかならず、そんなスクールカーストをぶっ壊そうと彼は暴力を用いる。新たなスクールカーストを作っただけだが。
「合唱」。もしこの世界が「スウィングガールズ」ならあの時点で神崎らは改心し久野(伊藤歩)とも仲良くしていただろう。けど現実はそうならない。「リリイ・シュシュのすべて」だって現実じゃないけど。そして、悲劇。
「悲劇」の連鎖の最後、蓮見(市川)が星野を刺したとき、何かが変わったかといえばそうじゃない。星野は最悪って言っていいくらいやな奴だったから、刺されればカタルシスが得られそうなものだけど全然そんなことない。
五木寛之さんの小説に、あるユダヤ人の作曲家がナチスに収容されたときに、そのナチスの男が美しい旋律でモーツアルトを弾くのを聴いてショックを受けたというエピソードを含む話がある。残念ながら、音楽を聴く人はみんないい人だなんて、まやかしだ。そして、自分の一部を分け与えていたミュージシャン、そしてそのミュージシャンを通じて分かり合った仲間・青猫が憎むべき相手・星野であったことに対して、今までを否定しなければやりきれないほどのショックを受けた。この場合、時にはそのショックで自殺や殺人など暴力的な発作に出る人もいる。蓮見は、暴力に出た。そして、結果がどうだったのか。学校に平和が戻ったのかはわからない。ただし、自分の起こした事件によってリリイ・シュシュの近辺に迷惑が及んだことを蓮見は悔いることだろう。僕には、このときの蓮見の姿はリバーズエッジの山田君や、ヤサシイワタシの芹生ヒロタカがだぶる。あるいは、あの日リリイのCDが割られたときに、蓮池はリリイを聴くのをやめなくてはならなかったのかもしれない。音楽に甘えないために。
ウダウダ書いてしまいましたが、これも理解の一歩手前でいつもとまってしまうような作品なんです。悔しいのは、これが後悔された時期思いっきり高校生だったにもかかわらず、劇場で見れなかったこと。当時沖縄で公開していたのかわからないんだけどね。
66/100 (2006/3/3下方修正)

リリイ・シュシュのすべて 通常版 [DVD]

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