OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

サンボマスター「僕と君の全てをロックンロールと呼べ」

 サンボマスターの3枚目のアルバム。ランニングタイム75分に渡る大作です。
 全体的な感想としては、疾走感あふれるナンバーに比べてソウルミュージック然とした聴かせるナンバーが増えている気がしました。特に後半。 
 おそらく、サンボマスターはいちジャンルとしてみた場合のサンボマスターの音楽性を2枚目までに固め、3枚目ではそれを広げる試みに出たのではないかと思います。
 それは歌詞にも見られます。サンボマスターは、実はそれほど語彙が多いわけではなく、どんな単語がよく使われているかを挙げるなどという野暮なマネはしませんが、限られたキーワードで抽象的になりながらも焦点ははずさない、そんな印象を受けていました。もちろん、今回も商店は外れてはいないのですが、一部の曲、一番よい例が「あの娘の水着になってみたいのだ」ですが、今までのサンボマスターキーワードに含まれていなかったような語彙が見られる歌もあります。
 このアルバムは75分という長時間にわたる作品ですが、基本、おのおのの曲は5分以内で収まっているので、非常に聴きやすいのではないかと思います。それに、このアルバムはコンセプトアルバムではないので、どこから聴いてもいいですし、自由な聴き方が許されるアルバムであると思います。
 それで、このアルバムのジャケットは青空をバックに滑走路に立つ3人なのですが、この青空って、00年代を一番如実に示すものではないかと思うわけです。
 サンボマスター像を外部からクリックしたような「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」。それによく似た、けど「愛」の定義法から違う「世界の中心で、愛をさけぶ」、それは影響力から言っても00年代を代表する作品と言ってもよいと思います(個人的にはあまり評価できませんが)。この作品のイメージに片山恭一さんのよく使う60〜70年代のロックの心象風景がつながっていて、それが渇いた青空のイメージが含まれているということです。おそらく、「世界の中心で〜」のメディアミックスを進めた人たちはそれを意図的に抽出していたと思われます。
「世界の中心で〜」あたりから70年代、80年代に対する、二次的レトロフューチャーともいえる動きがあったのも事実だと思います。ぼく自身も生まれた年の関係で微妙に80年代の文化を享受できなくて、それゆえに80年代の音楽や漫画、映画などを好んでみる傾向はありますから(それに加えて就職難の現在から見てバブル期の享楽的状況を羨んでいる気持ちもある)。
 けれど、サンボマスターはこの青空を、おそらくは自分の活力となったソウルミュージックやロックンロールの起源として扱い、そこからの滑走っていうのは、あくまで2006年現在におけるものだという、決然とした思いが彼らにはあります。
 それは、彼ら自身がおそらくはコミュニケーションについての悩み、このアルバムから首をもたげだしたテーマであるリビドーとの戦い、それらを前向きに描き、たとえ無様であれ戦っている姿をえがいていくこと、それが2006年に必要なロックだということです。
 きっとダニ・ハサウェイやエルヴィス・プレスリーがいなかったらサンボマスターもいなかったのと同様に、真心ブラザーズイースタン・ユースも彼らにとって重要な存在だったのだと思います。この二組は前述したテーマを90年代に描いていたアーティストたちですから。
「絶望と欲望と男の子と女の子」での譜割りなんてまったく考えていない歌詞の載せ方には少し笑いました。けど、きっと伝えたいことが18曲分あった。だからこのランニングタイムになった、ということで、もう、評論家の批評は気にならないんだろうな、そんなことを考えました。
78/100